デリュージョン・ストリート 02 2 (年の瀬の、寧日もない頃おい)

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 年の瀬の、寧日もない頃おい土師はじ姓のタユイ神からの招待状が舞い込んだ。そういえば、昨晩、開門開扉の一番太鼓が鳴ったはずだ。
 肉をこそぎて骨となり果つるということを考えながら地下鉄の出口に立つと、うしとらの方角にビアホールが見えた。もう何年も前のことだが、白い絹のドレスでめかした女とこのあたりに来たことがある。菖蒲の匂う頃だったか、水上バスの甲板で浮かれていると、舳先の方でしぶきが烟り、川の水が滴になって女の顔の化粧を崩した。舟を降りて橋を仰いだとき、赤ん坊を背負った女が欄干から身を躍らせようとしているように感じられた。
 ビアホールの長四角い大きな火桶で、黴臭い味のするソースを何度も塗り重ねながら竹串の肉を焙っていたが、最初に呑んだ黒ビールの一杯だけが心に残った。
 伝法院の通りを寄り道しながら右に曲がると、すでに深く酔っていたようだ。途中に大劇場の跡があったが、雨もよいの中をたちのぼる妖しげな気配にうちのめされて先を急いだ。
「さあ掻き込め掻き込め、縁起のいいのをまかったまかった」露地の両側高く、人々の頭上に鬱蒼と蔽いかぶさるばかりに、台付とか桧扇とかの豪華な竹把くまでが数えきれぬほど重なっていた。小糠雨を切り裂くような威勢のいい売り声が沸き立ち、赤色、金色、緑色の飾りが闇空を背景に燦いている。お福仮面が斜めに傾いでいた。五、六万くらいのものだろうと思うと、「冗談じゃない、桁違い桁違い」と売手が怒鳴った。酔っていたので、思いがそのまま言葉になったのだろうか。鬼熊という安価なものを求めて、目の前の簪を内緒で懐に納めた。「はるをまつ事のはしめや酉の市」(其角)と口ずさみ、ここいらでは「酉のまち」というのだと思い直した。
 今年は三の酉があるというが、大火事でも起こるのだろうか。ふらふらと吉原の方に足を向けかけたが、骨組みを晒けだした劇場のことが気にかかり、地下鉄の駅へ戻ることにした。
 土に還るという汎神論的風土なのだなと考えながら、浅草寺の境内でしゃがみ込み、パイプを喫いつけたが、神経にかすかに刺し込む悪意が触れた。護摩の烟にあたればそれも薄らぐという声が聴こえたように思ったが、まだ闇も明けきらぬ寒い夜。じきに新年を迎え、暦は巡るが、時は革むるべくもなく、永遠に眠りつづけているのは精神だろうか、肉体だろうか。
 ところで、三社祭にブラジルからダンサーを招き寄せたのは、ふっ、誰の悪だくみ。

(初出 詩誌『緑字生ズ』第2号、1983.12刊)