連載【第039回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: life genes 1

 life genes 1
神の秘密、Der Alte würfelt nicht(神は賽を振らない)
それとも、彼らは一擲乾坤、乾坤一擲に賭けたのだろうか。
私をこの深い闇に閉じ込める。あてどなくさまようヒッグスの暗闇に。だれが?

 私の肉体が引きずられる、それとも精神が引きずられているのか。
 私は偶然を必然のごとくに歩き続けている。重い、重い、意識。重い、重い、始まりと終わり。
 それにしても、癌細胞自体の生命活動とは何なのだろうか。生命系システムにとってそれは何なのだろうか。彼らは私の中にある異物、それとも愛すべき生命体? 癌遺伝子オンコジンは発がん因子と発がん促進因子のペアを恒常的に用意し、癌細胞の生命活動をコントロールしているふしがある。たしかに、〈がんという疾病〉は生体に異物を対峙させるという生命活動の負のベクトルをもっているように見える。
 われわれは互いに生命を貪食するだけで足りるとするものではない。啖われること、生贄とされること、消化され、余すことなく糞尿となり、宇宙の藻屑となるのだから。しかし、癌細胞自体は純粋に異細胞の〈生命活動〉なのだろうか、宿主細胞は異細胞の側から見る限り、エネルギー源として癌細胞の生体維持に不可欠なのかどうか。しかし。

――自分は癌細胞の世界を構築しようとしているのではない。自分という負のベクトルに対する生体の抑圧からの解放を目指しているにすぎない。これは存在のための闘いだ。しかも、過渡的にはエネルギー源としての宿主細胞の維持は必要だという矛盾を抱えて。自分は自分たちを涵養しなければならない。癌細胞群の活性化を夢見て。しかし、癌細胞が数十万個に達し、疾病として活性化するまでは、宿主細胞との相互維持が必要なのだ。とりあえずは。共存と活性化。相反するもの。この過渡性。生命遺伝子の正‐負のバランスこそ自然年齢というものなのだろうか。それは、がんの疾病化の始まりを示す境界年齢――人間五十年が死の適齢期とでもいうのか。じつのところ、癌細胞こそ共に生死を頒ちあう友人なのかもしれない。免疫システムの混乱と劣化が新たな疾病を産出している時代なのだから。そして、遺伝子工学がそれに拍車をかけているふしはないか。私は感じる。法外に老化しているこの時代こそ呪われているのだと。(つづく)