連載【第045回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: far away

 far away 1
 たしかに生命は自己複製、自己増殖が可能な有機的生物を対象にしたもののように見える。そして、有機的な生物は脳神経系統を基軸に、化学反応による電磁気の信号によって情報交換がなされている。また、細胞間、遺伝子間で未知の通信がなされているかもしれない。それらの情報は、生理、感情、感覚、知覚などに分類され、脳内レベルで意識として統合されているのだろうか。さらに、その過程で切り捨てられる、意識になる前の意識の素材と断片、脳内の使用前の意識領域、リセットされていない意識領域――。
 私はコンピューターの物理的なイメージに近づきすぎているのか。

 私が問題にしているのは、意識が身体構造に支配されたものなのか、細胞それぞれに起因するものなのか、それとも意識は意識として自立しうるのか、ということである。つまり、生命とはどこまでの範囲を指すのかという問題。生命は時間と空間に関与しているのか、宇宙と直接的にも間接的にも関係があるのかという物理問題。
 さらに、次のような疑問にも突き当たる。

――意識は生命体にしか存在しないのか。
 情報システムとして考えると、自立的ではないにせよ、コンピューターのような無機的な物体も存在している。もちろん、生理、感情、感覚、知覚、意識などは備わっていないから、これをもって生命系と比肩するわけにはいかない。
 しかし、ほんとうにそうだろうか。有機的生物の生理、感情、感覚、知覚、意識などは機械に替えがたいから、これをもって自立型生命を証明できるといえるのかどうか。なぜなら、生理、感情、感覚、知覚は化学反応であるから、電気的信号で処理できると考えることはさほど困難ではないからだ。(つづく)