連載【第055回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: nightmare I: 〈inflexibility〉

 nightmare I

 〈inflexibility〉
 ここはすでに現実と思われるところではない。しかし、それは非現実ということでもない。視点の定まらないところに、あるべきではない空白が広がっているのかもしれない。
 革命と芸術と戦争、さもなくばそれらの底で大きく口を開けている経済という魔物。新しいメディアでさえも、権力と経済に支配されているのだ。富と欲望によって金縛りにされ、人々は蝋燭のように固められて、心が縫い閉じられている。寂びれた蝋人形館の、パラフィンを舐めている化け猫ども。魍魎が跋扈して猫撫で声で生き血を啜る。生命のある若者の青い血管は、ことさら細い糸になり、緊張する。世紀末の次にさまざまの終末兵器が開発され、世界中で売り出される。砂漠で、山岳地帯で、油井地帯、大航路を大規模兵器が取り巻いている。群から離れた蟻のように、戦禍の中で人々は孤立を深めて。
 監視され、管理され、神経が張りつめていた時代に、精神病棟に収容されたアントナン・アルトーの不撓の精神のように、狂気といわざるをえないから狂気にさらされていただけで、本当は存在を裏返す戦いが敢行されていたのかもしれない。ただ、何かに侵襲されている感覚。細胞がはりつめ、こわばるのだ。今でさえ、何も終わっていないし、やはり何も始まっていない。
 それでも私はひどい疲労感に打ちのめされている。いつから始まっていたのか。あるいは、いつまで?

 異国の幻がこの場所に現れるはずもない。しかし、ここから世界のどのような場所、どのような時代をも一望して、それらの秘匿された夜と添い寝することは不可能ではないのだ。自分のいるところが地球のマグマの中心にあると確信できれば、そこからは世界の表面にあるいかなる時間、いかなる地図の座標といえども、常に等距離なのである。
 それでも、その場所と自分との間に、徘徊できる距離と時間はあるのだろうか。わずかの間でさえ、通りにとどまることも、視点を定めることもかなわないというのに。
 私は思い描くことができる。何も見ているわけではない。何も考えているわけでもなく、ただ押し寄せるこれらの波動、波頭……。
 生気のある人形たち、生気の失せた人形たち。透明な操り糸を括りつけられた身体たちが空中の蜘蛛の巣を渡り、地下のモグラの穴の回廊を通り抜け、無味乾燥な牢獄の中をひっきりなしに出入りしている。知能回路を支配されたこのゴブリンたちにとって、地下を這うケーブルや通信衛星の張り巡らされた監視回路の信号だけが彼らの行動を促している。(悪夢I〈不撓の精神〉)