デリュージョン・ストリート 11 (妄想ノート) 妄想の破片

このように一宇宙の創造が一神にかかるということは、宇宙が無限の神の数だけ存在するということであり、それは存在を蔽う全体とは異なる、次元の低いヒエラルヒーである。/
さらに核となり、高い位階にあり、全体を蔽うのは〈純粋思考〉である。純粋思考の次元によれば、神、宇宙、全体性は意味を持たなくなる。神的構築物の内部で、あたかも外部にあるように批判できる霊的存在及び多神的宇宙という次元の構造が、その外部にある、さらに強い本源的な存在を示している。また、純粋思考が精神的領野及び肉体的領野に現われ、それぞれの領野の存在がその一部分でしかないことが明白になったとしても、その一部分の側から元の全体の純粋思考を否定しさるとき、創造的な〈新たな純粋思考〉が誕生する。現実を越え、精神、神秘、宇宙の次元を越え、さらに核となる純粋思考を否定することによって生まれる新たな純粋思考こそが、あらゆる無限の姿を指し示している。/
まず、未来が先にある。実は時間は逆転した意味を持ち、未来の必要から過去が作られる。生命の流れは過去に向かっているのである。それゆえ、新しく生まれるのは過去であって、未来は生まれることはない。時間とはただ点在し、場所ごとに濃淡を持つにすぎない。/
時間の存在とは、その宇宙を構成する物質が何ら意味を持たないことを隠蔽するために、ある方向に流れていると錯覚させる技術である。その証拠に、時間が存在していないと規定すると、物質の存在はその意味をなくし、その宇宙の現実というものがあっというまに崩壊する。つまり地上的現実とは、それを創造した神にとってもただの実験的な場で、そこでは時間という道具を試しているのだ。他の神の介入の痕跡はあるにしても、地球は時間というつまらぬものの実験場である。物質とは時間の凝縮されたにすぎぬもの。/
純粋思考は、物質的な死が何の意味も、まして恐れも必要としないことを明らかにする。また、精神、観念、神秘、神とそのヒエラルヒーをつねに批判し、否定する立場にあるから、それぞれのどの次元でも何ものにも収斂されず、どの神とも対等かそれ以上の存在である。なぜなら、純粋思考はより本源的な創造の場面だからだ。/
〈妄想〉は(1)現れはどのようなものであれ、ほんのわずかな一面であること、(2)前項を自らの多面性によって証明できること、(3)その多面性が増殖的であり、創造的エネルギーを持っていること、(4)そのことによって宇宙の構造を示すこと、(5)そこで到達した己れの全体をも超越することによって、一気に純粋思考の誕生に至ることが可能である。

(初出 詩誌『緑字生ズ』第5号、1985.12刊)
*註 初出では改行なしだが、可読性のため、「/」で改行した。