【登録 2003/10/13】  
紙田治一 遺稿[ 八路軍の軍医時代 ]


智恵子との出逢い


5 (恋の始まり)


 盤石市ではすっかり緊張ムードがほぐれてきていた。駐屯部隊煮の中にも、病院の勤務員の中にも、もちろん日本人にも病人が多発した。
 外科的にはアッペ、ヘルニア、ヘモ、イレウス、パナリチウム、脱腸、腹膜炎(結核性)、肋骨、脊椎のカリエス、風刺病、リンコリ(頚部淋巴腺結核)などが。
 内科では圧倒的に肺結核が多かった。日本人で男子2名、女子1名が亡くなった。結核の患者は後方に転送した。
 大迫智恵子も見たところ健康そうだが、時々変な咳払いをしていたので診察することになった(その上、夜間の不始末をチョイチョイやっていて、時々ボーッとしている)。前もって大野看護婦から話を聞き驚き、遠回しにそのことを聞いたが、
「以前に、厳寒の中を橇に乗せられて、行軍したのでそれから洩らし易くなった」
 と、恥ずかしそうに答えた。それ以上のことはただ恥ずかしがって、何も言わないで黙っている。
 診察は型通りして、やがて胸を見て驚いた。凄いボインだ。はちきれるような大ボインが、臍の近くまで下がっているのだ。心音を聴くのにボインを持ち挙げて聴診器を当てる。その後、毎回ながら目の毒だったし、おまけに彼女も恥ずかしいのか、心音は昂進している。こちらは圧倒されている。二人は一言も喋らず、まるで聴診しながら、まさにステートラブのシーンだった。

 中国人の中にも恋愛ごっこが流行していた。武文化教員と何護士との間、楊護士と張事務員のセックス現場を見られ通報された事件、賀医務科長と張風琴護士長との恋愛、婚約発表、レントゲン技師の田中浩がジャムスへの出張のついでにかねてから恋愛中だった女性(人妻で夫はソ連に抑留中)を内妻だといって連れて来た。王軍医、竹内軍医の奥さんもジャムスから到着した。
 全体の雰囲気は日毎に和やかになった。甘院長と李所長に赤ちゃんが産まれた。所長代理に王玉琴政治員が兼任したが、少し神経質なところはあったがいい恰好しいの男で、院内のムードはますます明るく良くなった。しかし恋愛は自由だが、結婚は勝利の日まで許可されなかった。

 1947年の夏7月、国府軍の戦闘機が飛来した、折から訓練中の部隊を発見して、機銃掃射を行った。3名が機関砲弾を受けて受傷した。近かったので戸板に乗せて運んで来た。
 診ると1人は腹部貫通で既に死亡していた。もう1人は両大腿粉砕骨折軟部欠損砲弾創で止血帯はしてあったが、出血多量で手術台の上で失血性ショックで緊急輸血や補液昇圧、強心剤注射を行ったが死亡した。
 3人目の兵隊は左大腿骨折貫通創で出血が割と少ないが、手術骨片除去骨の欠損が多いので、短縮7センチで断端を骨接合してギプス固定包帯をした。傷病兵・楊明班長は明朗な人物で我慢強く、その後2回に及ぶ伸展手術に堪えて、下肢の短縮を見ず全快した。
 2名の重傷兵が手術室に運ばれた時、大迫智恵子護士は、介助の初めは甲斐甲斐しく働いていたが、大量の出血、死体の創面の縫合などに、気持ちが悪くなりながら真っ青な顔をして頑張っていた。しかし終わった途端、貧血を起こして倒れた。やっぱり気の弱いところがあるんだな、と感じた。

 彼女が右拇指の爪下パナリチウムになった、あまり痛いので堪えられず、私に治療を求めてきた。診ると切開排膿の必要がある。
 直ちに手術を始めた。固く指の根部を緊迫して指先が痺れるのを待ち、爪下にメスを入れ排膿で終了。
 彼女は無我夢中で私の背中にしがみついていた。終わっても暫くそのまま背中の締めた手を外さなかった、他の護士に「大迫さん、いつまでしがみついてるの」と言われ、はっと気がついて真っ赤な顔をして、慌てて手を離した。無麻酔は寒冷局部麻酔薬がなく、局所注射麻酔の注射方が痛いので取った方法である。

 1947年9月、私が急性大腸炎(仮性コレラ)になった。その時牛尾護士長は看護に大迫智恵子護士を付けた、2人だけの長い時間の、最初は吐く、下痢をすると病勢も劇しかったが、やがて治療(ゲンノショウコの内服が効を奏し)下痢の回数が減り、やがて止まり、軽快してきた。その時いろいろ話す時間が多くなった。
(大迫智恵子は大迫禎造、みえの長女として鹿児島県に生まれた。加世田市の高等女学校2年の時、当時獣医の父・禎造がジャムスの開拓団指導員養成学校の校長をしていた許に住み、ジャムス高等女学校に転校した、母・みえは翌年肺結核にて死去、半年後、うめさんが父と再婚、1945年当時は4年で卒業、ジャムス満軍司令部の暗号室に勤務、父は7月末応召、8月9日の日ソ開戦と同時に家族と別れた。)
 この時、2人の気持ちが通じ合った。まだ愛だ、恋だとはいえなかったが、互いに好意は持っていたことが判ったのである。私は3週間で全快して勤務に戻った。

(未定稿)

[作成時期]  1988.10

(C) Akira Kamita