【登録 2003/10/23】  
紙田治一 遺稿[ 八路軍の軍医時代 ]


智恵子との出逢い


11 (その後――年譜)


1950年
 智恵子との関係公開、結婚届提出。
 北上、鄭州市、陸軍病院開設準備。
 ゴンシェン(きょうけん)に出張。
 復員兵部隊医療隊軍医、武漢の衛生部からの批准(許可)書の渡される前日、大迫智恵子と8月6日夜、結婚。
 11月 鄭州に帰還、洛陽市金谷園に臨時陸軍病院。
1951年
 長男・彰、1951年5月20日出生。
 朝鮮戦争勃発。
 6月 抗美援朝医療隊隊長。
 7月 汝南市医療隊病院開設。
 9月 智恵子、汝南に来る。
 武漢市にて医療隊隊長報告。
 鄭州に帰還後、鄭州で三反五反学習。
 日本人のほとんどが軍籍除籍となる。地方官吏となりて、河南省洛陽人民後方病院外科主任。
1952年
 長女・玲子、1952年6月10日出生。
1953年
 4月に帰国許可。
 日本に帰国の途に。洛陽、5月1日メーデー・鄭州、武漢、上海1ヶ月滞在。
 子供2人が麻疹。
 白山丸二等船室。
 7月7日 舞鶴港。白山丸事件。
 金沢市野田町、引き揚げ者住宅。
 白銀診療所の大野医師。高浜出張診療。
 内灘米軍砲撃演習場反対闘争。
 北海道に渡る。
 10月25日 札幌駅着。
 吉村良治家。豊平町滝の沢豊滝、智恵子の両親、大迫禎造、うめ、弟・正道(大学生)、妹・靜子の家に一時同居。
1954年
 1月 札幌市中央保健所勤務。豊平町月寒の引き揚げ住宅。
 11月 北海道勤労者医療協会月寒診療所。
1955年
 医師国家予備試験合格。
 8月 室蘭診療所。医師住宅。
1957年
 4月より北大付属病院でインターン。

 菊水、借家住まい。
 4月19日 二女・智子出生。
1958年
 6月16日 智子病死。
 上砂川に勤務。
 医師国家試験合格、医師免許1958年1月取得。
1959年
 7月13日 三女・泉出生。
1963年
 10月 上砂川町東鶉一丁内にて開業。
1964年
 7月12日 次男・昇出生。
1973年
 2月26日 火災全焼。
 3月 プレハブ医院。
 智恵子と玲子、泉、昇に札幌市豊平区のマンション・札幌カトレアハイツ購入、別居。
1974年
 11月 新築無床医院完成。
1977年
 301A地区第4リジョンのライオンズクラブデピテーガバーナー。
1985年
 怪我。
1986年
 1月4日 砂川市立病院泌尿科入院手術。
  18日 退院。後、通院3ヶ月。
 5月から8月まで三井砂川鉱業所病院に通院、9月30日入院。
 10月7日 国立療養所西札幌病院整形外科に入院。
1987年
 3月31日 東京都江東区住吉、あそか病院に転医入院。
1987年
 9月7日 退院。
 9月25日 狛江市、慈恵医大第三分院に入院。
 10月22日 ストーマ閉鎖手術。
 10月31日 退院。
 11月1日より、あそか病院に通院中。リハビリ、ディベティスの検査、内服薬の投与を受けている。

(新通会のメンバー進藤、石橋、和田、飯島、金子、斉藤、白石、前原、清水)

(未定稿)

[参照]
 1988.10

(C) Akira Kamita