関東軍衛生幹部教育隊 3
ソ連軍の進撃は重戦車を先頭に、大部隊が怒涛のごとく押しよせて来る。我が軍はそれを迎撃する。丘陵に野砲、山砲を配し、道路の両側には蛸壷壕を掘って、対戦車攻撃用の爆雷を一兵一爆雷、さらに歩兵部隊の散兵線と鉄壁の布陣である。
しかしソ連戦車に一発の野・山砲砲弾が発射されると、敵戦車は軍艦砲のような巨砲をグィーッとその方向に回し、ド、ドーンと砲撃する。友軍砲兵陣地に集中砲撃である。
ひとたまりもなく木っ端微塵に粉砕された。蛸壷作戦も、決死で戦車のキャタピラの前に差しいれた爆雷も、敵戦車が巨大過ぎて、ボォーンと音はするが爆破されず、戦車は相変わらず進んでいる。
残酷なのはその後のソ連軍戦車のやりかただ。蛸壷目ざして進み、キャタピラで蛸壷を潰し、車体の尻振り運動でグイー、グゥーとやる。堪ったものではない、兵隊はペチャンコで圧死だ。
我々はそのありさまを見て、惜しさと憤りで切歯扼腕、みんなの口から出た言葉は「必ず、俺達が仇を撃ってやるぞ」と、ますます夜襲攻撃に燃えてきていた。
長い夏の日は、雨の中に暮れていった。8月10日1時、いよいよ攻撃開始。5個小隊は静かに前進を始めた。一名一爆雷では敵戦車の爆破は出来ぬ。離れ軍馬を見つけてきて、小隊全部の爆雷を馬上に搭載した。馬には気の毒だが、そのまま戦車に体当たりさせて爆破する作戦である。幸い輜重隊の兵隊がいたので馬の手綱を持たせた。
いよいよ敵前約1000メートル、匍匐前進開始。500メートル、抜刀、着剣。さらに前進100メートル、突撃の合図と同時に、馬の尻を軍刀で叩いた。手許が狂ったか峰打ちのつもりが刃の方で叩いた。馬はヒヒーンと嘶くと一目算に敵陣目掛けて駆け出した。
わが夜襲斬り込み隊は馬の後を遅れじと突撃、斬り込んだ。拳銃、小銃の乱射。馬は敵戦車に体当たり、バッカーン。撃破成功、ワァーッと喚声を挙げて突っ込んだ。慌てふためく露助めの中に斬り、突く、撃つの大乱闘。私は軍刀を斬るより振り回し、当たる者に切りつけて、血路を開いて敵陣を突破した。
(未定稿)
[作成時期]
1989.2.13