クランケの呟き
2 患者を見下すな!
ナースの悪口ばかり言えない。アルットも大して変わりはない。誤診、クランケのクラーゲ(嘆き)をさっぱり聞き入れないか、無視するか、自己過信による先入観、クランケを見下した言語、知識・技術の未熟さに気づかぬか、気づいていてもプライドや面子のためか、逃げ口上か、クランケの発言を、
「私は専門家だ。素人のあなたになにがわかる。心配しないで私に任せておけばいいんだ、全て任せなさい」
と叱り、頭から押さえつけてくる。
そのうえ、説明するのに、クランケのわからない医学用語(ドイツ語か、一般に通用しない難解な用語)を並べる。これじゃクランケはチンプンカンプン、たまったものじゃない。これでは信頼できるはずもないし、任せる気にもならない。ムンテラ(ムント・テラピー。口先療法)の重要性は知っているはずなのに、勤務医の大半と、一部の繁盛している開業医の中には、ムンテラに時間を費やすのを惜しむのか、あまりにも口数が足りないのではなかろうか。説明不足からくる誤解もその中から発生しやすい。
特に保険診療では、ムンテラに対する診療点数がないため、その傾向がはなはだしい。数多くのクランケを診なくては経営採算が採れない。こんな現行の保険診療を早く改革する必要がある。
クランケに対する関心より、保険のことが気になるアルットのジレンマ。
病を持ち弱者となったクランケでも、そんなアルットやナースに、なんで、服従しなければならないのか?
ただ自分の疾患を早く治してもらいたいから、我慢して従っているのだ。でなければ何であんなやつに馬鹿にされるもんか、と内心穏やかならざるものあり。クランケ仲間が集まると、アルットやナースの批評か悪口が話題の大半を占めるのもむべなるかな。
病院に対しても、いろいろな不満が鬱積していることが多い。
診断の基本は、問診、視診、触診、聴診、打診、理化学的検査、病理学的検査等である。しかし、問、視、触、聴、打診を疎かにして、理化学の検査成績ばかり見て診断を決定する。こんなアルットの考え方が、誤診、ミス、医療事故の重要な発生の原因となっているのだ。そんなアルットのなんと多いこと、クランケにとって、驚き、嘆き、恐れ戦くばかりだ。
命がかかっているのだ。なにしろ、一つしかない命を預けて、信頼している相手だから。助けてくださいお医者さん、お願いだ、しっかり頼んまっせ、だ。
人間は機械じゃないんだ。人格(精神を持ち、智識、人格、地位、身分があるんだ。生活環境も違ってるんだ。)を持ち、それぞれ異なる。そんな人間を一緒くたに扱う考え方には、腹立ちを感ずるとともに、愚鈍さに呆れる。
「思い上がりもいい加減にしろ。アルットってそんなに偉いと自惚れているのか」
と言ってやりたくなるという、大半のクランケの呟きの声があることを。
アルットもナースもクランケも同じ人間である。病める弱者クランケを労り、慰め、励ます、人道的博愛主義こそ必要である。アルットやナースに近年、一層強く求められているのではなかろうか。
(未定稿)
[作成時期]
1989.1.11