【登録 2003/12/25】  
紙田治一 遺稿[ 医療 ]


クランケの呟き

3 右大腿切断の宣告!?


 国立N病院での話だが、私は左恥骨皹裂骨折より骨髄炎及右恥骨骨膜炎で手術のため、1986年10月7日、入院していた三井砂川鉱業所病院から転院し、N病院に入院した。
 入院時のレントゲン撮影時に、たいして必要もないのに右膝関節を強力に屈曲された。衰弱して筋腱の弾力性の弱っていたため、「ポキッ」と音がした。右膝関節上部の四頭股筋の腱断裂である。
「痛いっ」と叫んだ。
(担当者は:編注)ダラリとして曲げやすくなったので、
「よく曲がった」
 と喜んで、1枚だけで済まさず2枚撮影された。
 私は痛みのため失神状態となってしまった。
 腱断裂をさせたレントゲン助手は黙っていた。私は失神したままで病室に運ばれた。
 しばらくして気がついた。右大腿下部に激痛、動いていた右下肢が全く動かぬ。どんなに力を入れてもビクともしない。そればかりか、膝から下の知覚もない。
 麻痺だ……、神経も切られたのだ……。愕然とした。
 主治医のA医師が診察に来た。私は早速、右大腿部の断裂を訴えた。しかし、
「そんな馬鹿なことが、あるはずがない」
 と、私の訴えなんか、てんで受け付けない。
「衰弱と高熱で頭がおかしくなっているのだ」
 と、一笑に付していた。
 さあ大変だ。切実なクランケの訴えが無視されたのであった。
 その晩から劇痛とともにどんどん腫れ、筋腱断裂で神経を、血管の断裂で内出血だ。見回りに来たナースに、アルットに伝えてくれると頼んだ。
 ナースは、
「後で……」
 と答えたきりなしのつぶて。そして辛く長い苦痛の夜が明けた。
 A医師は、ナースの報告ないまま、午前9時過ぎに回診に来た。私はただちに話した。
「四頭股筋の断裂と内出血がある」と 。
 A医師曰く、
「それは、紙田さんには、ディアベティス(糖尿病)があるので、ただ化膿したんだから、冷やせば好転するよ」と。
 私は、
「いや、内出血ですよ。プンクチョン(関節穿刺)をしてくれませんか」
 と頼んだが、
「あんたはクランケだ。私はアルットだ! 指示に従いなさい!!」
 と憤然と言いい捨てて足早に立ち去った。
 その後、血液その他の検査、彼、A医師の出張(バイト)などで放置され1週間……。激痛、高熱、不眠、食思欠乏(絶食)……内出血は完全に化膿し、全身的にはゼプチィス(敗血症)となってしまった。
 危篤の宣告は家族になされた。私は意識溷濁で何もわからぬ状態だった。

 10月13日、第1回のオペのときは、右大腿は「象の脚ぐらいになっていたよ」とは医長F医師の後日談。
 そのうえ、オペの前、右大腿のアンプターチョン(切断)をすると言われた。
 家族の反対と、私の意志が不明なので、アンプターチョンは免れたのである。
 2週間後の第2回目のオペもアンプターチョンをすると宣告されたが、全く信頼していない。アルットの知識(医学常識)、治療技術にも、人間としても、不信の相手だ。私と家族で反対した。結果、切開排膿だけで済んだ。(恥骨の骨髄炎、骨膜炎のオペは骨掻爬の2回だけで済んだ。)

(未定稿)

[作成時期]  1989.1.11

(C) Akira Kamita