【登録 2003/12/25】  
紙田治一 遺稿[ 医療 ]


クランケの呟き

5 「便所掃除屋じゃあるまいし」


 11月15日頃から高度の便秘になった。食べず、飲まず、全くの食思不進、高熱の持続のためである。連日24時間の持続点滴注射のためもあった。
 A医師の指示で、浣腸(グリセリン)に摘便、高位浣腸、と反復して行ったが、1ヶ月半になる便だ、硬い……いわゆる糞石になっている。肛門は腫れ上がって痛くなる。
「 微温湯を注腸をすれば便は軟らかくなる。そうしてさらに洗腸すれば排便できる。糞石は石や木や金属に変化したのではないんだ。水分を充分吸収すれば軟便や下痢便になって出やすくなるんだ」
 と言っても聞き入れず、外科的に処理を依頼した。それで回診に来たS外科医師は、怪我もしなかった肛門を、
「怪我で神経、括約筋が損傷されているのが原因だ」
 と自分で勝手に決めて(これが後々まで祟った)、ろくろく、真面目に診察もせず、もちろんアナムナーゼも聞かず、頭から先入観念で診断を決定し、誤診(度重なる浣腸、摘便で肛門が腫れ上がって、疼痛のため神経が過敏となっていたので、内診時、彼の指が入らなかった)、たった1回の検査(肛門内診)で「このままではイレウス(糞便腸閉塞症)になってしまう」との大誤迷診断だ。
「糞便イレウスになっては、生命に危険となるのでストーマ(人工肛門)をS状結腸に造設する必要がある」
 とのご託宣のため、とうとうストーマを造られてしまった。
 3回目のオペのとき(全身麻酔であった)、右大腿の切開排膿術のとき、一緒にやられてしまった。排便口の造りっ放しで、彼は第一外科教室の後輩なので注腸、洗腸のことは話したが、聞き入れない(経験がないので)。
 病室を出て、廊下でA医師とS医師は声高に、
「便所掃除屋じゃあるまいし、あんなことができるもんか」
 と話しながら立ち去った。彼もアルットの資格なし人間なりと断定する。

 私はその後11ヶ月間、ストーマによって、悲惨と生命の危機を体験した。(1987年10月22日、慈恵医大附属病院第三分院(狛江市)外科で、S状結腸切除吻合手術にて閉鎖、医療事故による右下肢のリハビリテーションにも障害を与えたストーマと訣別)

(未定稿)

[作成時期]  1989.1.11

(C) Akira Kamita