【登録 2003/12/27】  
紙田治一 遺稿[ 医療 ]


クランケの呟き

10 集中豪雨?


 1987年は私にとって、大変な一年だった。

 1月1日、集中豪雨。
 元旦の朝(午前9時頃)、重症で身動きできなかった私の病室で、天井に雨音が聞こえる。何事ならんと怪しんで耳を傾けていると、水が蛍光灯の笠を伝って降ってきた。私は慌ててナースコールを押した。
 日直のナースFさんが飛んで来たときに、もう天井からは漏水はザァザァと私の上に降る。Fさんも慌てて、ベッドの上にあった新聞紙を私の顔に被せた。そうして、応援のナースを呼んだ。
 ナース2人でベッドと共に私を病室から運び出した。掛けていた毛布、布団はびしょびしょのままで寒い廊下に置かれた。約30分、そのまま。だんだん濡れた体が冷えてきた。北海道の厳寒期、暖房のきいていない廊下のことだ。
「寒い、凍りそうだ」
 と叫んだ。
 Fナースは急いで私を空いていた隣の個室に移してくれ、毛布、布団を取り替えた。
 だが、その病室はしばらくの間、空き部屋になっていたので、暖房が止めてあった。寒い、寒い。慌てたため、ナースコールが外してある。誰も気がつかぬ。
 私は一生懸命ナースコールしたが、誰も来ない。私は叫んだ(大声での心積もりだったが、重症で衰弱しきっていたこととて、か細い声で)、何回も。だぁーれも来ない。
 待つこと1時間。ナースのパトロールが来たので暖房を入れてもらって、やっと人心地。
 漏水の原因は、4階のクランケの浴室の水の出しっぱなしで、水が溢れて廊下に流れ出て、浸水、落水、集中豪雨となったお粗末。
 後でいくら「どうも済みませんでした」と、謝られても、ひどい目にあった私の怒りやいかに……。

(未定稿)

[作成時期]  1989.1.11

(C) Akira Kamita