ある医師のストーマ闘病記 (前書き)
ストーマ(人工肛門)とはなんと悲惨な響きよ。生命の延長をはかる手段とはいえ、ストーマを造設されたクランケは、その日から身体障害者だけでなく、重大な精神障害者となる。さらに常時生命の危険に曝され怯える。
人工肛門から出る排泄物はその処理にてこずらされるばかりでなく、さまざまの理由から悲惨で暗澹たる人生を強いることになる。ストーマを抱えているために、日常動作は何かにつけて障害を受けて緩慢となる。そのうえ、根気や粘りがなくなって、なげやりになって来る(いわゆる自暴自棄である)。さらに消化、栄養吸収など、生命維持に重大な食べ物に対して、消化・吸収出来るか、不消化下痢や醗酵ガスの原因とならぬかと、気になって食欲も減退する。神経質となってしまうし、便臭が身体に染み込んで、自分ばかりか、他人にも臭い匂いがしているんではないかと気になり、自己嫌悪に陥る。
ストーマには括約筋や便意を支配する神経がないから、ガスの放出、便の排出はいつあるかわからない。我慢も出来ない。ストーマストップが始終かけられる。私の場合はリハビリテーションの重大な障碍となっていた。
ストーマパックの交換は大変な仕事である、所・時間・人目の有無を問わず、外れればすぐ交換しなくてはならぬ、その時下痢でもしていれば大ごとである、衣服もすっかり便で汚してしまう。慌てるし、恥ずかしいし、自分が情けなくなり、腹が立って来る。
こんな日が永く続けば、ノイローゼになり、イライラが亢じて気が短くなって、他人に対して陰鬱で、怒りっぽい態度を取る。人間嫌いになってしまう。
これで良いのか……否、ストーマの問題は解決を急ぐ重要なテーマであると思考する。
ストーマ経験者として、また外科医として、対策を述べ、今後造るアルットや造られるクランケ、その家族、ナースの参考に供したい。
(未定稿)
[作成時期]
1988