私の病歴 3
9月25日、B病院に入院した。検査にて糖尿病、化膿原因菌及び感受性の抗生物質剤が決定、レントゲン撮影検査にて、左恥骨骨髄炎・右恥骨骨膜炎が認められた。
たまたま、出張医がD病院整形外科のE医師であったので、10月7日D病院整形外科に転院入院した。
その恥骨骨髄炎と骨膜炎で入院中、右大腿四頭股筋を断裂。
筋を切断したための大量の内出血が化膿して、フレグモーネとなり、さらに敗血症となり、50日間食欲もなく、また脱水症状を起こし重篤となるとともに、排便もなく、高度な便秘となった。なんとか便を出そうと浣腸(グリセリン浣腸、高位浣腸)摘便の反復がなされたが、極度に水分の欠乏して硬くなった便(糞石という)が、簡単に出なかった。
医師は早く出せと指示する、看護婦は懸命に実施する。太い指を入れての掻き出し、反復しての浣腸、摘便ですっかり肛門は腫れ上がってますます糞便は出ず、外科的にということで、主治医の整形外科医が外科に診察を依頼して外科医が来たので、私は微温湯の注腸を頼んだが聞き入れられず、彼は肛門内診で指が入らぬといって、ストーマ(いわゆる排便口)をS状結腸に造設すると決定。(当時、ひどい衰弱状態で拒むことができなかった〈息子・彰証言)
1986年11月26日、整形外科の(何度めかの)手術と同時に(全身麻酔下で)ストーマは造設されてしまった。[糞便イレウスになるのを防止する]といわれて。
打撲もしていない肛門部を、神経、括約筋を損傷して、排便出来ないと決めてストーマ手術をした外科医によって左下腹部にストーマは造られた。
その日から、悲惨と言語に絶する打撃的な日々が始まったのである。
私は人格まで変わるような暗澹たる日々を体験した。
(未定稿)
[作成時期]
1988