【登録 2003/02/04】  
紙田治一 遺稿[ 通化事件 ]


ああ……悲劇の通化暴動事件!

五、 「日本完了(リーベン、ワンラー)!」


 期待と不安が日本人の胸の中で、綯い交じり合いながら、やがて七月が来た。三度目の召集が通化市を襲った。それは根こそぎ動員の様相を帯びていた。男という男が妻子の見送りも受けず、送別会も開かれずにこっそりと応召して出征していった。軍機の洩れることを恐れる軍の命令で、出発はすべて隠密裡のうちに行われねばならなかった。
 市内には特殊な官公吏や技術者を残すだけで青壮年は総て動員された。女性が隣組長や班長になるような区さえ出てきた。街から街へ真偽取り混ぜて様々な情報が伝えられ始めたのもこのころからであった。
 その情報は満人街や朝鮮人街で最も盛んだった。イタリヤは既に敗れ降伏していた。ドイツも大敗北して降伏寸前の様相を呈していた。この次は、「日本の番だ」というのである。
 そのころ通化市内の満人の子供たちの間で、奇妙な遊びが流行していた。それは新京方面から流行ってきたものだといわれていた。どういう遊びかというと、半紙をいくつかに折り、鋏をうまく使って切り抜いていくと、ナチスドイツの旗ができる。もう一枚をやはり切り抜くと今度はイタリアの旗ができる。最後にもう一枚やるとそれは日本の旗になる。そして残った紙片を集めて並べると、「完了(ワンラー)」という字が組み立てられる。誰がどこで考えだしたものかはわからなかったが、これが満人の小学校で大流行した。上手に出来上がると、「完了(ワンラー)!」「完了(ワンラー)!」「完了(ワンラー)!」と手を打って囃し立てるのだ。なかには、「日本完了(リィーベン、ワンラー)! 日本完了(リィーベン、ワンラー)!」と声を上げる子供さえもいた。
 この遊びはたちまち憲兵隊と警察の耳に入った。躍起になって取り締まりを始めたのだが、この知能的な遊びはなかなか後を絶たなかった。ついには後藤通化特務機関長自ら部下を督励して、徹底的な捜索を始める騒ぎにまでなった。
 不思議な遊びが流行する一方で、目に見えない反日、反軍運動が満人の間で起こっていた。鋭い彼らの触覚は、覇者交代の時が近づいていることを、既に敏感に感じ取っていたのである。

(未定稿)

[作成時期]  1989.04.11

(C) Akira Kamita