【登録 2003/02/05】  
紙田治一 遺稿[ 通化事件 ]


ああ……悲劇の通化暴動事件!

八、老兵(ロートル)部隊


 関東軍司令部の通化入りに続いて、指揮下の各部隊が夜を日に次いで殺到して来たのであった。
 十日、十一日、十二日と部隊の数は日を追って増加し、通化とその周辺は兵隊と資材で膨れ上がった。
 狭い通化の街には、とてもこの兵員と物資を収容するだけの施設はない。全市の学校と官公署にぎっしり詰まった兵隊は、街の外へまではみ出すありさまだった。
 溢れ出た部隊は渾江の堤防や河原に幕舎を張って野営した。殺気に充ちた号令と金具の響きが全市の隅から隅にまで響き渡った。
 新通化、旧通化の両駅に到着した軍需物資は、膨大な数量に上っていた。それらは処理されないまま、駅構内や構外の線路脇になどに堆く積み重ねられたままだ。だが、このようにして大挙押し寄せた関東軍の大部隊を、通化の人達は、期待外れの気持ちで迎えたのだった。
 なぜだろう? それはどう見ても「精鋭」関東軍の名に相応しい兵隊の姿ではなかったからだ。ほとんどが応召の老兵で、見るからに痛々しい虚弱な国民兵だ。装備はどうであろうか。山砲、野砲など重火器はどこにも見当たらない。それどころか重機関銃もなければ軽機も見えない。
 そんな丸裸に近い兵隊が、白い埃の道を行進していく姿には、これから決戦を挑もうという凛然としたものはどこにもないのだ。
 ただ、若い将校達は残らず張り切っていた。老兵を叱咤しながら、眉を上げて血気に逸った表情だった。通化市を中心にして、関東軍五万は集結を終わった。戦雲はいよいよ急を告げている。
 期待外れの関東軍であっても、通化の日本人達は、まだまだ多くの信頼をかけていた。何としても勝って貰わねばならないのだ。

(未定稿)

[作成時期]  1989.04.11

(C) Akira Kamita