【登録 2003/02/05】  
紙田治一 遺稿[ 通化事件 ]


ああ……悲劇の通化暴動事件!

十一、皇帝逮捕


 その同じころ、鮮満国境に近い臨江県大栗子に仮帝宮を設けていた満州国政府も、張国務総理大臣、武部総務長官以下の各部大臣、参議が皇帝を正面にして、緊急御前会議が開かれた。
 日満一徳一心を国是とする満洲国、逆の立場からいえば日本帝国主義の傀儡政権である満洲国が、その将来を決する御前会議であった。しかし唯一の後ろ楯である日本が無条件降伏し、満洲国成立の原動力であった関東軍がソ連の軍門に降るという今となっては、満洲国も皇帝も存在の意義は全く消滅し去っている。
 老総理張景恵は静かに口を開いて、満洲国の解体の時が来たことを説き、皇帝の退位がやむをえないことを明らかにした。
 数奇な運命の半生を関東軍の手で拾われ、流謫の亡命生活から一躍新興国の元首となって迎えられた皇帝溥儀氏は再び竜冠を夏草の上に投げ捨てねばならなかった。
 即位以来十五年、関東軍の監視の中で日本政府の命ずるままに動かされてきた若い皇帝は、その広い額の下の眼鏡の奥に、暗い光をたたえた目をしばたいていた。あるいはそれは日本軍閥への怒りかもしれなかった。清朝発祥の地・長白、そこで清朝の血を継ぐ末裔溥儀氏は、ついに一介の野の人と化したのであった。
 十五日の夜、通化の関東軍司令部から禁営府総裁吉岡中将の許へ緊急電話があった。
「明十六日、山田司令官は通化飛行場を発って奉天に向かう、そこからさらに空路東京へ向かうので、皇帝も同行して日本へ亡命してはどうか?」というのである。
 十六日、山田司令官と、皇帝溥儀氏と側近の吉岡禁営総裁、橋本参議府副議長等の一行を乗せた軍用機は通化飛行場を発った。時既に遅く、奉天飛行場へ降りてきていたソ連空挺部隊によって、脱出寸前を捕まってしまった。
 運命の皇帝に相応しい、劇的な逮捕抑留であった。

(未定稿)

[作成時期]  1989.04.11

(C) Akira Kamita