ああ……悲劇の通化暴動事件!
十三、藤田参謀抗戦を叫ぶ
「髭の参謀」藤田大佐は、このときどうしていただろうか?。
彼もまた抗戦派だった。しかも最も強硬な抗戦論者であった。藤田参謀の周囲には、抗戦派の将兵が数多く集まっていた。その人達にとっては、今の関東軍で最も信頼するに足る指導者こそ、豊かな髭をしごいて、悠然と長白山の彼方を睨んでいる藤田大佐その人であった。
新編成第一二五師団司令部は通化高等女学校の中にあった。その女学校に藤田大佐の二人の娘も在学していて、彼は純情で多感な女学生からも、英雄のような崇拝を集めていた。
八月十八日の朝、藤田大佐はこの女学校の朝礼台に立って、女学生達に徹底抗戦を説いた。校長片岡語咲氏が敗戦の混乱の中で、思想的に帰趨に迷う女学生達のために、彼女達の進むべき道を明示してやってほしいと依頼したのである。軍人が女学生に道を説いても当然のこととされていた時代だった。
藤田大佐は朝の日を真っ向から浴びて台上に立った。やがて口を開くと、それが火を吐くような抗戦の言葉の連続だった。
「たとえ日本が本土において終戦を行っても、関東軍は絶対に抗戦を継続する!」と前置きして、
「この広漠たる満洲大陸の資源と、我々の誇る大和魂をもって、米ソを迎え撃ち、絶対に神国日本の伝統を守り抜かねばならない。たとえ一億玉砕しても断乎戦い抜くのみである!」
さらに、
「大和撫子の精華を発揮する秋は今だ。軍とともにサイパン、沖縄に散った大和撫子に続け!」
と説いて話を終わった。感じやすい少女達は、清らかな涙で頬を濡らしていた。藤田大佐のその言葉の意味がどれほど恐ろしいものであるかも知らずに……。
だが、その当時の通化では、藤田大佐の抗戦演説は恐ろしく「受けた」のであった。
不甲斐ない、頼み甲斐のない関東軍を目前に見せつけられた日本人達が、「何か?」深謀遠慮をその長い髭の中に秘めてでもいるような「髭の参謀」藤田大佐に、表現しえない「何か?」を期待した。反動的に……、その「何か?」が、やがて恐ろしい破局を導いてくるものとも知らずに。
(未定稿)
[作成時期]
1989.04.11