ああ……悲劇の通化暴動事件!
十四、大勢停戦に傾く
藤田大佐が徹底抗戦を説いたその十八日の午後、事態はまたもや一変した。関東軍司令官の布告が全部隊に伝達されたのである。布告は次のようなものであった。
「関東軍は八月十五日正午において戦闘行為を停止し、ソ連軍の進駐ありたる場合、速やかに武装解除を受くべし!」この司令官命令に反するものは、反乱部隊となる。関東軍に最後の止めを刺したのは、ソ連軍であるというよりも、この一片の布告であったともいえるだろう。
司令部の営庭から火の手が上がった。機密書類の焼却が始まったのである。小山のように積み上げられた書類が、赤く青く炎を上げて燃える。黒い煙がもうもうと立ち昇る中で、若い将校が口惜し泣きに泣いている。
八月十五日の詔勅は、まだ現実のものとして受け取るには距離があり過ぎた。だが、この日の布告は何としても動かし難いものであった。各部隊では部隊長自ら布告を読み、全員に訓示した。司令部と同じように機密書類が焼却される。
その空を飛行機が飛んで行った。司令官布告を空から伝達しているのだ。白い紙片がヒラヒラと夏の日に輝きながら舞い落ちてくる。飛行機はやがて壮大な雲の彼方へ飛び去った。長白山へ入った部隊にも、この布告を伝達するために……。
関東軍の大勢はこの日を帰して停戦の方向に落ち着いた。すると、市内の満人、朝鮮人達の日本人を見る目が急に変わってきた。軽蔑と侮りの色だ。さらに憎悪の陰気な光がそれに加わってきた。満洲建国以来、民族と民族の間に、いつとなしに定まっていた優者と劣者の位置が、見事に転倒してしまったのだ。
その夜、部隊では夜を徹して酒を飲み、乱闘が演ぜられた。まさに断末魔である。ただ、営庭の書類を焼く火だけが、いつまでも、いつまでも赤かった。
(未定稿)
[作成時期]
1989.04.11