【登録 2003/02/08】  
紙田治一 遺稿[ 通化事件 ]


ああ……悲劇の通化暴動事件!

二十五、「山田参謀」という男


 世は乱世である。奇怪で不思議な人物が通化の街にまた現われた。その男は「山田参謀」と呼ばれた。通化の日本人達は、参謀という名に異常な魅力を感じていたのかもしれない。「藤田参謀」が彼らの英雄であったように「山田参謀」もまた、違った意味での英雄として、彼らに迎えられていた。
 だが藤田参謀は関東軍の参謀であったのに引き替え、山田参謀は中共八路軍の参謀だったのである。彼はいつも酒の匂いをプンプン撒き散らしながら街を歩いていた。無類の酒好きだったのである。しかし彼の手で助けられた日本人の数はどれだけあったかもしれない。
 山田参謀は本当は参謀でも何でもなかった。彼は満洲鉱業開発会社の鉱山技師だった。通化に近い田村炭鉱で満人労務者数百名を指揮して石炭を掘っていたのだが、終戦になって、中共軍が満人を狩り集めて応急の部隊を編成したとき、彼は部下の苦力(クーリー)を全部引き連れて、中共軍の中へ入って行ったのだった。
 彼、山田は飄々としていつも酔っぱらっているように見えて、その実、卓越した指導力と統卒力を持つ男だった。中共軍が通化に入ると同時に、彼も通化へやって来たのだが、たちまち、「山田」といえば八路軍の将校達も一目置く存在になっていた。
 山田参謀は正しくいうと、中共八路軍の日系政治工作員の指導者だった。ただその籍が八路軍参謀部(政治部)にあったことから、参謀好きの日本人がそう呼んだのだった。
 他の日系工作員が非常に嫌われた中で、山田参謀だけは日本人の信頼を集めたのは、彼が多くの日本人を助けたことにもよるが、次のようなことをしばしば洩らすからであった。
「私は何のために、八路軍に入っていると思うか? それは日本人のためなのだ。中共軍の中に身を置かない限り、どうしても日本人を救済することができないと考えたからだ!」そうしてまた、こうも言うのだった。「私はカモフラージュしているのだよ! 偽装しているんだよ!」そういう告白を聞いた人達は、改めて山田参謀を見直したのであった。
「藤田参謀」と「山田参謀」この二人の参謀の名は、通化の日本人達にとって、それぞれ違った意味の希望であった。そしてまた宿命はこの二人の参謀を後になって結びつける。
 それに加えて野戦病院院長柴田久軍医大尉、居留民会代表寺田山助、佐藤少尉、それから孫国民党書記長等……主な悲劇の登場人物はどうやらこうしてほとんど出揃ってきたようだ。

(未定稿)

[作成時期]  1989.04.11

(C) Akira Kamita