【登録 2003/02/10】  
紙田治一 遺稿[ 通化事件 ]


ああ……悲劇の通化暴動事件!

三十三、藤田参謀逮捕


 藤田大佐を石人炭鉱で発見したのは「吉住」という日系工作員である。元林子頭で旅館を営んでいた人物だった。何かの事件で中共軍に捕まって留置されていたが、出てくるといつのまにか中共軍の工作員になっていて、人々を驚かせたという経歴の持ち主だ。中共軍を笠にきて、目に余る行為があり、同胞を売る男だと世評のよくない男であった。
 その「吉住」が王糾察科長から藤田大佐探索の命を受けて、通化市を中心にした各地の日本人が集まっている場所をしらみ潰しに当たっていくうちに、ついに石人炭鉱で、彼、「藤田大佐」を見つけだしたのだった。
 そのとき、藤田実彦はあの特徴のある豊かな髭を全部剃り落としていた。三ヶ月前の面影は全くなかった。だが、鋭い「吉住」の目は、その男が狙う藤田その人であることを、見事に見抜いてしまった。
 髭こそないが、白く秀でた額、その下に柔和だがときにはキラリと輝く二つの目、胸を張って歩く恰福の良い姿……。
「藤田だ! 田友だ!」吉住は確信した。彼は誰にも気づかれないように、なお数日間密行を続けた。次第に確証が上がってきた。越子夫人もいれば二人の娘もいる。そして影の形に添うように、精悍な、いかにも青年将校らしい若い男が三人、その周りを取り巻いている。
「元軍人らしい」「有名な参謀だそうだ」そんな噂も聞き出した。
「吉住」は通化へ帰ると、すぐ司令部の王糾察科長にこのことを報告した。王は小躍りして喜んだ。そして司令の劉清宇に報告した。
「気づかれぬよう、厳重に監視しておれ!」という命令が「吉住」はじめ数名の日系工作員に下された。その中には藤田大佐の顔をよく知っている者もいた。彼らによって石人炭鉱にいる人物は、藤田に間違いないと確認された。司令部はにわかに色めきたった。
 劉司令と王糾察科長を中心にして、「反共の元凶藤田」をどうするか協議された。今や藤田は全くの袋の中の鼠である。どんなにあがいても、既に厳重に張り巡らされた監視網の外へ逃げ出すことはできない。
「生かして使う! 利用できるだけ利用する!」
 中共軍はそういう方針を決めた。そのための筋書きが書かれた。藤田大佐を主人公に、「日解連」がその演出を受け持つことになった。

(未定稿)

[作成時期]  1989.04.11

(C) Akira Kamita