ああ……悲劇の通化暴動事件!
三十四、藤田参謀! 通化へ現わる
通化劇場で「日本人大会」が開かれる。日本人はできるだけ多数出席せよ。そういう布告が回ってきた。そのころ結成された「日本人管理委員会」と「日本人解放連盟」との共同主催であるという。中共政府に協力を誓い! 日本帝国主義を打倒し! 民族解放戦線を結成しよう! それが「日本人大会」の趣旨であった。だから多くの日本人は、こんな大会に見向きもしないはずであった。ところが、この大会が開かれるというニュースが伝わるとともに、日本人はその日が来るのを待ちかねていた。なぜだろう? それは大会の席上に、藤田大佐が現われて、日本人の聴衆に一場の講演をするということが、併せて伝えられたからだ。
「藤田大佐現われる!」このニュースに通化の日本人は爆発的な衝撃を受けたのだ。終戦以来、プッツリと消息を絶っていた藤田参謀が、市民の前に久しぶりに姿を現わすという。
彼は「日本人大会」で「何を?」訴えるというのだろう。まるで救世主の再来ででもあるかのように、彼は日本人に迎えられた。
十一月四日、「日本人大会」の日の通化劇場へは、朝からの雨をついて、二千人もの日本人が詰めかけた。開館以来かつてない最高の入場者を記録するほどの盛況だった。入場できない聴衆は場外に溢れ、前の舗道は通ることもできないほどだった。通化劇場は終戦後、何回となく人民裁判が行われたところであった。漢奸(売国奴)が逮捕されると、ここの舞台に引きずり出され、民衆の前で峻烈な裁判が行われた。刑は全て人民によって決められる。懲役、重労働、そして銃殺、どれくらいの極刑がここで下されたかわからない。
その通化劇場に、今日は、興奮した日本人が詰めかけていた。藤田大佐の一語一語を聞き逃すまいとして……。舞台正面には、「日本天皇制打倒!」「日本帝国主義打倒!」「民族解放戦線統一!」「中国共産党万歳!」などと書いた大きな幕が垂れている。
来賓席には劉司令以下の中共幹部、日本人管理委員会の要員が連らなり、一段下に「日解連」の指導者達が並んでいた。
「田友は生かして使う」その方針に沿って、藤田大佐の人気を利用して「日本人大会」を開き、そこで中共への協力を彼に述べさせる。劉司令が書いた筋書きが今日の「日本人大会」であったのだ。
その前日、既に彼「田友」藤田大佐は石人炭鉱で「吉住工作員」の手引きで、中共軍のために逮捕されていたのだった。そして今日の「日本人大会」での演説を押しつけられていたのであった。
だが、そんなことを知っている日本人はいない。藤田大佐はやっぱり偉い。中共もついに大佐を必要としたのだ。ほとんどがそんな素朴な考えだった。
定刻の午後一時、「日解連」の笹野支部長が開会を宣した。井出俊太郎という人物が議長に選任された。
(未定稿)
[作成時期]
1989.04.11