【登録 2003/02/10】  
紙田治一 遺稿[ 通化事件 ]


ああ……悲劇の通化暴動事件!

三十六、緊急動議!「宮城遥拝!」


 拍子抜けした場内には、至るところでざわめきが起こった。それを沈めるように議長が発言した。
「只今から自由に質問、意見、要望を述べる時間に当てるから、どしどし動議を提出してもらいたい」もう一度場内にざわめきが起こった。
 皆んなが顔を見合わせて尻込みしている。そのとき、中央部の座席から、「議長! 議長!」と叫んで一人の老人が立ち上がった。議長から許されると老人は声を振り絞って演説を始めた。
「我々は今日まで日本帝国の教育を受け、天皇陛下を中心とした国体の中に生きてきたのであります。今急に百八十度転換を命ぜられても無理であります。性急に強制することなく、気長く教育してもらいたい!」そこで言葉を切ると、中共幹部と「日解連」の席に目をやり、「本日の大会に集まった人々の中に、私と考えを同じくする人が幾人あるかを参考に供するため、私はここに動議を提出致します!」それからさらに声を大きくして老人は叫ぶように言った。
「宮城遥拝! 並びに天皇陛下万歳三唱! です。以上であります!」凄まじい拍手が城内を包んでしまった。議長が仕方なく困った顔で、「動議に賛成の方はご起立願います!」と言うと椅子を鳴らして全員が起立していた。動議は成立した。宮城遥拝! それから天皇陛下万歳! が三度高唱された。来賓席の劉司令が苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「日解連」の笹野支部長が蒼白な顔でおろおろしている。押しかぶせるように万歳! の声が響く、いつの間にか司令達の姿は消えていた。興奮した日本人達は壇上に駆け上がって「天皇制打倒!」のビラをむしり取った。万歳! の声はまだ絶えない。
 この日の英雄はあの動議を提出した老人だった。彼は山口嘉一郎といって、通化から五里ばかり離れた名もない寒駅の駅長だという。英雄藤田を失った日、この老英雄は人気の焦点になった。
 そしてこの日の最大の失敗者は「日解連」の指導者達だった。
「もっと徹底した思想改造を断行せよ!」劉司令の厳命が下ったのはいうまでもなかった。

(未定稿)

[作成時期]  1989.04.11

(C) Akira Kamita