【登録 2003/02/10】  
紙田治一 遺稿[ 通化事件 ]


ああ……悲劇の通化暴動事件!

三十九、奪還命令下る


 赤十字病院の院長室では柴田大尉がじっと何かを考え込んでいた。
 中共軍の張軍医部長から、その日、熟練した衛生要員(特に衛生器械の専門家)を三名、中共軍司令部付きとして派遣するように命令されたのだった。
 これまでにも何回か衛生要員の派遣要請があり、市内の通化省立病院へ十三名、田村病院へ十二名。また市外の国共交戦地へ十名を数回送り込み、全員無事で帰って来ていたのだが、司令部付き要員の派遣は初めてである。そのまま留用されてしまうかもわからないし、また、自分の手の届かぬ場所でどのような不測の出来事が起きるかもしれない。
 じっと考え込んでいた柴田大尉は、急に頭を上げた。その目が輝いている。院長室勤務の佐山職員に声をかけた。
「佐山君、急いで前原、飯島、藤田君を呼んできてくれたまえ!」やがて三人の職員が院長室のドアをノックした。
「前原以下三名参りました!」柴田院長は、「よし、入れ!」と答えた。前原職員は、「入ります!」と、ドアを開けて入った。前原職員に続いて飯島職員、藤田職員が入ってきた。室内に入るとサッと立礼をした。もう軍隊ではなくなっていたのだが、ここでは昔通りの軍隊の組織と規律とが厳然と守られている。
「命令を伝える。明日より前原君、飯島君、藤田君の三名を東北人民自衛軍の軍司令部付きとして派遣する。任務の内容は軍医部での医療器械の管理業務である!」と言ってから、柴田大尉はさらに三人を、「もっと、近くへ寄れ!」と三人を呼び寄せた。
「君達を信頼して密命を授ける。司令部の情報を洩れなく連絡してもらいたい。できうれば中共軍軍司令部内に監禁されている、元関東軍の第一二五師団の藤田参謀長と連絡が取れるよう努力して貰いたい」
 三人の職員はパッと緊張した顔つきになって、後の細々とした柴田大尉の指令を聞いていた。一朝何事かあれば真っ先に飛び出していく決意をいつも持っている三人の胸中には、その密命が固く秘められたのであった。そして小声で復唱して、「隊長殿。命令はわかりました! では前畑以下帰ります!」と三名の職員が出ていった後、同志の寺田山助に連絡するため、急いで身支度を整えて柴田大尉は院長室を出た。
 院長室勤務の佐山、小島の両職員は、「お気をつけて!」と若い院長、柴田軍医大尉を送り出した。

(未定稿)

[作成時期]  1989.04.11

(C) Akira Kamita