【登録 2003/02/10】  
紙田治一 遺稿[ 通化事件 ]


ああ……悲劇の通化暴動事件!

四十三、航空隊、反乱に加担


 しかし航空隊と戦車隊とが進駐してきてから、日本人はにわかに活気づいてきた。もしものときは、あの人達が何とかしてくれるだろう。
 現にこんな噂が流れていた。航空隊林少佐、小林中尉、鈴木中尉、それに戦車隊木村大尉の四人が、通化の日本人の生活の悲惨さを見て、「日解連」の幹部達に、「同胞を虐待するにもほどがある!」と軍刀に手をかけて詰めよったというのである。青くなった幹部達は、自分らも中共軍と日本人の板挟みになって苦しんでいると訴え、やっと許してもらったそうである……。
 だが航空隊と戦車隊の進駐を最も歓迎したのは、別のところにいたのだった。それは反乱派の人達だった。彼らは航空隊と戦車隊とを説いて、彼らの計画に加担させることを考えたのである。
 この工作には寺田山助が当たった。寺田は土建業者だったから飛行場へもよく出入りしていた。司令部、県大隊、公安局などが投獄者で膨れ上がり、留置場が手狭になって拡張するときなども、寺田がその工事の請負に当たっていた。大事を企てる男らしい細心さで、彼は中共側の信任も得ていたのである。
 寺田は林少佐と次第に親しくなった。そのうち一緒に酒を飲む仲にまでなっていた。共通の話題には、意識的にいつも藤田大佐のことを上らせていた。
「林さん。今日は貴方を男と見込んで、ずばりと言わせてもらいます!」ある夜、パイチュウ(コゥリャン焼酎)の杯を置くと居ずまいを正した寺田が林少佐に切り出した。
「貴方に、私達の仲間に入ってもらいたいのだ!」その気迫に押されて、「仲間?」と少佐が聞き返すと、ぐさりと胸を刺し通すような鋭い声で寺田は言った。
「中共政府の転覆です。そして国民党と日本人による連合政府を通化に作るのですよ!」
「それを、誰がやるのだ?」
「藤田大佐です。中国と日本のために!」寺田は彼らの計画の詳細を林に説明した。その夜、林少佐は一味に加担することを確約した。二人は冷えたパイチュウを高く上げて乾杯した。やがて戦車隊の隊長木村大尉も寺田によって口説き落とされた。後は藤田大佐の奪還だけである。
 航空隊と戦車隊が謀議に加わることになって、反乱派の人々の意気はいよいよ上がった。

(未定稿)

[作成時期]  1989.04.11

(C) Akira Kamita