【登録 2003/02/10】  
紙田治一 遺稿[ 通化事件 ]


ああ……悲劇の通化暴動事件!

四十四、瀋陽からの使者


 十二月六日、国府革命記念日である。その日の昼ごろから重く垂れ込めていた空は薄暮から雪になった。この日もまた、中国人の集団暴徒が日本人を襲撃するというデマが飛んでいた。寝静まった街には雪だけが紛々と舞っていた。
 その夜、通化市清真街の孫耕暁の家の奥深い一室で主人を入れて三人の日本人と中国人の五人が密議を凝らしていた。
 中央の椅子に腰を下ろした、よく太って血色のよい大人風の人物が主人の孫耕暁だった。日本の東北大学理学部を出て、絡江中学校校長、王道書院院長、通化省地方職員訓練所所長などの教育畑を歩いてきた経歴だが、終戦前からの国民党秘密党員で戦後は通化党支部書記長、暫編東辺地区軍事委員会主任委員を務めている。
 孫の右にいるのは、党本部書記で軍事委員の劉清字、孫を助けて特務工作に当たっている参謀格の人物だった。
 左にいる二人の日本人は、寺田山助と佐藤弥太郎、民間と軍人の代表である。そして正面にいる鋭い目つきの日本人が、今日の正客であった。一同が揃ったところで孫耕暁がその男を紹介した。
「杜聿明将軍の密使として、瀋陽から本日無事に通化に潜入して来た近藤特務工作隊長です」
 男は軽く頭を下げた。不敵な面魂しいを持った四十男である。
 近藤特務工作隊長と紹介された男は食い入るような四人の目に取り囲まれながら、落ちついた口調で口を開いた。
「杜聿明将軍からの密書を持って来ました。孫書記長に私から直接お渡ししておきましたから、詳細は孫書記長から話していただきましょう」
 孫耕暁は懐から紙片を取り出した。四人の目が引き込まれるように、彼の丸い手に集まった。
 外は風が出ていた。氷花の張りつめた二重窓を叩いて過ぎていく風の音が強い。

(未定稿)

[作成時期]  1989.04.11

(C) Akira Kamita