ああ……悲劇の通化暴動事件!
四十七、藤田大佐脱出す
逸りたつ寺田一派は十二月二十四日を蜂起の日と決めた。だがそれは準備不足と連絡不十分のため延期された。
柴田大尉は十二月二十日に中共軍軍医部長より呼び出し受けた。
「病院の全職員を中共軍に参加させよ!」との要求であった。
「我々は日本の天皇陛下の軍隊である。自分勝手に他国の軍隊に参加することは、自分の一存ではできない。その件については断乎拒否する!」と中共軍の要求を拒絶した。張軍医部長はその強い言葉に顔色を変えたが、柴田大尉の厳とした態度に押されて、何の言葉も出せなかった。その日はそのまま帰した。
反乱計画は次いで一月一日未明を期して蜂起を決行する案が出された。昭和二十一年元旦、その日を幸先よい決起の日としようというのである。
藤田大佐の奪還が、緊急のこととなった。柴田大尉から司令部内の安田早苗仮看護婦に指令が出された。
……「十二月三十日午後七時、司令部四階の窓から、藤田大佐を布団で巻き、かねて用意してある麻のロープで地上に降ろせ!」
……「藤田大佐は清真街の満洲人の寺院清真寺に密行されたし、同寺へは既に手配済みなり!」
……「安田早苗看護婦は大佐の脱出成功後、すぐ赤十字病院へ帰院せよ!」
……「成功を祈る!」
その日、その時刻、司令部の四階の裏側の二重窓が音もなく開いた。ほんの一時間も前、血のように赤い夕焼けが、雪に覆われた長白山系の山々を朱に染めていたが、それも既にとっぷりと暮れている。
開いた窓へ夕顔のように白い顔がぽっかりと浮いた。そっと下を覗き込む。夕食の最中でもあったのだろうか。庭には衛兵の姿も見えない。安田看護婦は静かに顔を引っ込めた。室内には既に布団でぐるぐる巻きにされた藤田大佐の大きな身体がごろりと転がっている。
「大丈夫です!」緊張してかすれた声でいうと、「そうか!」と大佐はうなずいた。その目が笑っている。大胆な大佐の顔を見て、安田看護婦も落ち着きを取り戻した。
「降ろします!」「よし。頼む!」両腕で抱えて窓へ運ぶと、全身の力を絞ってロープを引き締めて、「頑張って下さい!」「ありがとう!」するするとロープが伸びた。大佐の身体はもう窓には見えない。やがてドサリと響く音を彼女は聞いたような気がした。慌てて覗き込むと、もう地上ではロープを解いて立ち上がっている黒い影が見えている。さっと走り出す大佐の姿がたちまち建物の陰に隠れた。成功したのだ! がくがくと震えがきそうな膝をシャンと立て直すと、彼女は静かに身仕舞いを直した。白衣の帯をきちんと締め、それから廊下へ出た。
何も知らぬ衛兵が廊下の灯りの下にぼんやりと立っていた。
「ピンホーデ、ロンスゥープユンデ。ピンカイ、ユンワンラー、ソィ、オゥーシャン、ワイベルチュイ、ナーデアル、ピンカイバ」(病人の冷湿布用の氷がなくなったので私が外から氷を持ってきます)
「ハォバ、ニー、チュイバ」(よろしい、貴方は行きなさい)と衛兵が許してくれた。
彼女は落ち着いた足どりで階段を降りた。裏口へ回り、そこからさっと闇の中へ走り出していた……。
(未定稿)
[作成時期]
1989.04.11