ああ……悲劇の通化暴動事件!
五十四、反対派も最後は加担
荒天の雪が赤い。西の空の雲が切れて、赤い夕焼けである。短い冬の日はもう暮れようとしている。
午後四時、中共軍に接収されて、警備隊の監視の中で中共軍の傷病兵の診療に当たっている赤十字病院の院長室で、柴田大尉は部下の数名を集めて、明朝の攻撃計画の詳細を初めて伝達した。
一、作戦本部藤田大佐命令
二、二月三日午前四時を期して攻撃を敢行する
三、変電所を襲撃して同時刻、電燈三回点滅を合図する。また同時刻に玉皇山上で狼煙を上げる
四、各自、兵員にこの旨を伝達せよ
このとき、副院長の松倉大尉は、初めて謀議がそこまで具体化していることを知ったのである。一瞬愕然とした大尉は、やがて観念したように行動を共にすることを確約した。
「ありがとう!」と柴田大尉は松倉大尉の手を固く握った。
これで赤十字病院の全員を挙げ蜂起する態勢となったのである。
任務が与えられた。
第一中隊は柴田大尉が指揮を取り、柴田大尉は佐山、小島の二名を率いて自ら変電所を襲撃する、合図の電燈点滅を行った後、スイッチを切って全市を暗黒状態におく。前田見習軍医と斉藤曹長以下五十七名全員は病院警備の中共兵を襲撃する。第二中隊は松倉大尉が指揮を取る。〓島、平井軍医中尉以下の見習軍医は患者収容に当たる。その他の者は院内警備に当たる。
「他に通化省立病院、田村病院に派遣されている池野職員以下二十五名は、阿部大尉指揮下に入り中共軍司令部を攻撃する! 最優秀の装備と兵力を持つ司令部の攻撃は、恐らく生還を期し難いものがあろう。彼らは決死の特攻隊である。皆も彼らの死を犬死ににせぬよう必ず任務を完成せよ!」と柴田大尉は全員に訓示したのである。
早速伝令が各方面に走らされたが、そのとき既に遅く街の中には、中共軍の警戒の兵士が厳重な態勢を整えていた。
特に省立、田村の両病院の出入りは尋問が厳しく、伝令はその中へはとうとう一歩も入れなかったので、柴田大尉の伝達は派遣職員にできなかったのである。
一方、省立病院の派遣職員達はいつになっても、部隊長から何の指令も連絡もないので、午後六時頃、横田職員は赤十字病院へ石橋、和田の二人の職員を連絡に出したのであった。しかし途中で厳戒中の中共兵が、「スィヤー?」(誰か?)の声と同時に銃を撃ってきた。突然の発砲に見舞われて、(彼らは=彰注)急いで伏せて逃がれて宿舎へ引き返して帰った。
「警戒が凄く厳重だから、今日はとっても蜂起はできないのかもしれないな!」と皆んなで話し合っていた。
だが赤十字病院の院内では斉藤曹長の指揮で密かに武器の収集を始めた。すぐ近くで警備兵の目が光っている。手榴弾一発、スコップ三十本、青竜刀一振り、その他雑多な武器が集まっていた。
野戦病院の総員百三十五名中百名(外部派遣二十八名、その他の七名は病気入院中)、柴田大尉以下の変電所襲撃隊三名と斉藤曹長以下五十七名の六十名が決起第一中隊と決定。第二中隊、松倉大尉以下四十名は、〓島、平井軍医中尉などの患者収容隊と入院患者の警備を命ぜられた。これで全ての配備が完成した。
今ここに関東軍衛生幹部教育隊の臨時第一野戦病院部隊が、通化において決起して中共軍と戦うことになる。
第一中隊の五十七名が柴田大尉の変電所の電燈点滅を合図に警備小隊宿舎に手榴弾を投げ込み、スコップを振るって乱入するのである。
このうち前田伊助職員以下十名は二名一組となって、立哨中の歩哨五名に飛びついて武器を奪うことになっていた。
合言葉は「山と川」、「花と桜」と決められた。白鉢巻きも配られた。悲壮な最後の晩餐がまもなく始まった。
当時食糧庫の責任者進藤隆職員は、職務柄中国人(中共軍に臨時に雇用された料理人で民間の満人)と親しくしていた。
彼らは進藤職員を、「チントン、タイジン(進藤大人)と呼び、満人に対しての彼の分け隔てのない優しさを慕っていた。
彼らを巻き添えにしたくなかった心優しい進藤職員は、夕食後彼ら満人の料理人を自分の部屋へ、こっそり呼んで、「ニーメン、チンテン、ワンシャン、リャンスー、クー、スイジョー、バ」(お前達、今晩は糧抹庫へ寝なさい)と話して、それとなく気配を感じ怯えていた満人達を、食糧庫に寝かせて何事が起きても絶対出ないように言って隠してやった。
(未定稿)
[作成時期]
1989.04.11