【登録 2003/02/14】  


ああ……悲劇の通化暴動事件!

五十七、賽は投げられた


 総帥と仰ぐ藤田大佐が逮捕されていることを知っている日本人は一人もいなった。ただ大佐が逮捕される直前に、航空隊の見習士官の手から作戦指令が奪われたという情報が一部へ流れていた。だがそれを連絡することができないまま、計画は実行されたのであった。
 既に賽は投げられている!……かつて一度は捨てたはずの武器を取ることの無謀さ、それによって起こる悲劇の大きさ!……それを強要されて心ならずも立ち上がった人々も多かった。
 藤田大佐が逮捕された時刻、竜泉区興隆街の旧省公署勤務だった片山警尉の家でそういう人々が最後に対決を迫られていた。
 血走った目の佐藤少尉と加元少尉、その後ろには興隆街の各隣組から反乱に参加する青年達十数名が控えている。
 対座しているのは地区組長兼警備班長の山崎亮太郎と地区有力者の保木、森野の三人だった。
 一同の中央の畳には日本刀がグサリと突き立てられ鋭い光を放っていた。承知しなければこの刀が血を見るというのである。
 佐藤少尉達は、隣組の青壮年を狩り集めて攻撃隊を編成し、専員公署と中共監獄に留置されている日本人の救出を決行してもらいたいと交渉しているのだ。さらに隊員の宿と夜食を作ることを要求した。
 計画を打ち明けた以上、血気の若者達はただではおくまい。山崎組長は命は惜しいとは思わなかったが、既にここまで計画が進められているのを知って、同じ日本人として裏切るわけにはいかなかった。
「止むをえません。承知しました!」やがて炊き出しが始まった。日本刀、スコップ、鶴嘴、鉈、棍棒などを持った青年達が集まってきた。午後十二時には隣組の名簿によって青壮年全員が集められた。何も知らないでやってきた青年達もいた。真相を知らされて愕然として立ち去ろうとしたが、「お前は、それでも日本人なのか!」という声が迫ってきた。子供のころから叩き込まれた教育がこんなときになって彼らを悲劇の岸へ追いやった。
 兵站部に当てられた中昌区第一避難民収容所でも所長桐越一二三の指揮で炊き出しに大わらわだった。ここは主に北満から避難してきた軍人軍属の家族である。白米三十石、塩魚三箱、梅漬け二樽、そのほか一週間の戦闘に耐えうる食糧が貯蔵されていた。
 真っ白い米が炊かれて握られる。艶々に光るその米を、収容所の子供達に食べさせてやることができたら、どれほど幸せであるかもしれないのに!

(未定稿)

[作成時期]  1989.04.11

(C) Akira Kamita