ああ……悲劇の通化暴動事件!
五十九、佐藤中隊長戦死
玉皇山の狼煙と電燈点滅信号を待ちかねていた第一中隊長佐藤少尉以下百五十名はじめ、第二、第三中隊、遊撃隊などは一斉に攻撃を開始していた。凄じい喚声が市内各所で上がり、激しい銃声がやがて全市を包んだ。
恐らく中共軍は、司令部、専員公署、県大隊などの主要部分では、反乱軍を十分引きつけておいて、包囲殲滅する作戦に出たものと見られる。それでなければ、各中隊が何の妨害もなく攻撃目標に近接することはできなかったはずである。
各方面の戦闘で最も叩かれたのは、旧省公署の専員公署を襲撃した佐藤弥太郎少尉の第一中隊百五十名であった。
「突撃! 進め!」と絶叫する佐藤少尉を先頭に喚声を上げて百五十名が雪崩をうって斬り込むと、待ち構えたように正面玄関に据えた軽機関銃が火を吹いた。ばたばたと倒れる屍を乗り越えて殺到する中へ、次から次に手榴弾が投げ込まれて炸裂する。その火線を突破して、佐藤少尉を先頭にする一団がついに建物の中へ突入した。切り開かれた突破口からどっと後続も駈け込む。
勢いに乗った抜刀隊は逃げる中共兵を追いまくった。建物の中だから中共軍の火器も大して効果がない。決死の強行突破が成功したのだ。四階まで中共兵を追い上げた。逃げ場を失って叫びながら窓から飛び降りる者もいた。
佐藤少尉はその隙にかねて選抜しておいた十名の兵を連れると、同じ建物の中にある監獄へ斬り込んだ。そこには一月十日の大検挙で逮捕された日本人約百四十名がいた。彼の同志寺田山助もいたのだ。
「寺田さぁーん! 奪還に来たぞぅー!」と叫んだ。監獄の入口には軽機が据えられていた。パッと火を吹いた。手榴弾も炸裂する。白刃が閃き、獄の中からは日本人が喚声を上げる。軽機はそちらへも火を吹いた。哨煙が薄らいだとき、全身蜂の巣のようになって倒れている佐藤少尉達の死体が横たわっていた。監獄の中も血の海であった。ほとんどが倒れ伏して断末魔のような呻き声が高く低く洩れていた。
その血の海の中に「寺田山助」とネームの入った洗面袋が転がっていた。それからは繰り返して逆襲が行われた。一人の反乱兵も建物の中にいなくなるまで! 奇襲の成功は夢に過ぎない。第一中隊はほとんどが戦死という壊滅的な打撃を受けて敗走した。
(未定稿)
[作成時期]
1989.04.11