ああ……悲劇の通化暴動事件!
七十一、その疑問点を挙げてみる
一、通化事件は怪奇で複雑である。ただ単純に、元関東軍藤田参謀と日本人元関東軍脱走将兵、元日本人警官、民間日本人達と、国共内戦に利用しようとした国府特務孫耕暁等との謀議による中共軍に対する反乱、暴動事件であったのか?
二、孫耕暁ははたして国府の地下組織の責任者で国府の特務であったのか?
中共軍の作り上げた国府の特務ではなかったか?
孫は二重スパイではなかったか?
三、はたして捕虜になっていた「田友」老爺は、本当に「藤田参謀」であったのか?
本物なら逮捕されたとき、なぜ「田友」(藤田)は自決しなかったのか?
逮捕のとき総司令の彼はなぜ拳銃を所持していなかったか?
そしてなぜ逃亡も抵抗もしないでやすやすと逮捕されたのか?
彼の一切の行動より考えて、藤田は中共に最初逮捕され監禁中に生命の危機に立たされていた。思想改造という洗脳は共産党の常に行う手段である。彼もそのとき洗脳されて中共軍の手先(スパイ)になっていたのではなかったのか?
攻撃計画表は日本語で、誰にでも読めるように書いてあったが、もし本物の日本軍の参謀であったなら、当然暗号文を使用するはずだ?(……私が獄内で知り合った赤川大尉の疑問もそこから出ていた)
四、事件を仕組んだのは中共軍の通化の不逞分子(元日本軍人、国府特務や国府秘密党員等)を一掃する謀略ではなかったか?
……地下工作、扇動工作、組織工作、デマの宣伝などは中国共産党の永年政治闘争で培った最も得意とする分野である。「通化暴動事件」を脚本、演出して事件を起こさせるくらい訳のないはずである!
五、柴田大尉は軍医である前に医師である。私の知る限りでは気持ちの優しい温和な医師であった。その医師がなぜ暴動の首謀者の一人にならざるをえなかったか?
部下の職員が中共軍に強制参加させられる、病院が中共軍によって接収される、この出来事の前に、日本軍人として、自分に与えられた任務を達成できないことと、戦前教育の反共、国粋主義、天皇絶対主義からくる軍人としての重責に耐えきれず、若い彼はさんざん悩んだ末に、ついに暴動の首謀者になったのではなかったか?
そのような若い青年に重責を負わせ逃げていった老獪な高級将校に重大な責任がある。
六、朝鮮人民義勇軍李紅光支隊の暴虐、残酷さは目に余るものであった。それはかつて四十年間にわたって祖国を併呑され、多くの同胞を殺戮され、また奴隷化された、その日本人に対する民族的な憎しみからきた報復からであった。彼らのところに留置され、取り調べの手にかかった者はほとんどが虐殺された。奥田院長のように狙われて惨殺された。
「日本人は、以前に朝鮮人をたくさん殺した。今度は朝鮮人が、日本人をたくさん殺してやるぞ」と放言してはばからなかった朝鮮兵も大勢いたのだった。
七、この「通化暴動事件」は兵器(武器)を持たない戦い、初めから「徒手空拳」とは無茶苦茶な作戦計画だった。
また謀略の全部が敵に筒抜けであった。それすらわからない間抜けな藤田参謀? が作戦計画を立てたのか?
戦前の無謀な玉砕という日本軍の負け戦は、作戦参謀とは名ばかりでこのように無能の輩の、初めからはっきりと負けることのわかった作戦計画ではなかったのか?
八、この暴動は未然に防げた。中共軍は作戦、攻撃目標計画表を入手する以前から知っていた。少なくとも、二日の午後五時に直ちに全通化に戒厳令を敷いて、首謀者全員の逮捕はできたはずであった。暴動はわざと起こさせたものである。
そのため日本人の男子が二分の一を越す千六百名に近い無益な死傷者を出させた。
九、暴動蜂起の噂は一月上旬からあったが、日本人だけのヒソヒソ話であっても、日本人工作員、中国人、朝鮮人の日本語のわかる者には当然その噂も伝わっていた。中共側で当然その情報は入手していたのである。放置したのは暴動を起こさせて、反中共不穏分子を含んだ日本人、国府地下組織軍を一網打尽にする中共軍の戦術の、「小の虫を殺して、大の虫を助ける!」であった。
十、日本人技術者を必要とした中共軍の謀略であった。
日本人技術者は参軍させられた後は、素晴らしい働きをして、中国革命に多大なる貢献をした。中には戦病死した者も多い。
毛沢東の語録「捕虜優待!」とは、一度生命の危険を与えて後、良い待遇をすればこのように人間はよく献身的に働くものである! との立証なのだろうか?
結論として、当時まで国民には絶対服従とされていた天皇陛下の命令を笠に着て、軍部の高級将校(職業軍人)達は国民を戦争に狩り立てて、生命を鴻毛より軽く見て、あしらっていた。終戦で、軍隊の階級も指揮命令権も存在しないにも関わらず、無慈悲な命令を乱発して、自分達の身の安全を謀ろうとした。さらに下級将兵には死を含む犠牲を押しつけていた。
「通化暴動事件」はそのような旧日本軍隊の体質と、それまでになされた侵略帝国主義の教育が日本人を好戦的にさせるように合体していた。中共、国府はそれを知り過ぎるくらい知っていて、自分達に有利に利用して、それを謀略によって起こさせたのが、西暦一九四五年二月三日の「通化暴動事件!」である。
昭和の歴史は流れて変わり、新しく平成の歴史に移行しても、第二次世界大戦争の歴史的事実とそれによって蒙った被害の大きさと、無惨な犠牲者のことは、永久に語り継がれてこそ、日本国民は再びこのような過ちを、絶対に防ぐことのできるようになりうるのではないだろうか。
そのために「新通会のメンバー」の未だ健在な方々が多く生存している間に、この事実を書き残したいものです。ぜひ今後も自分で体験したことや、聞いていたことがあればお知らせしていただき追加していきたいと考えております。
参考文献
なおこの資料は元共同通信社記者、社会部長・山田一郎氏の著書「通化幾山河」を基本的に参考にいたしました。その中の元戦友の職員宇佐見晶氏の調査体験の結果も豊富なのでそのまま取り入れました。
平成元年四月十一日(西暦一九八九年四月十一日)に脱稿す。
紙田治一 編集
(未定稿)
[作成時期]
1989.04.11