ああ……悲劇の通化暴動事件!
本原稿について
原稿末尾にある後書を要約して、本原稿の紹介とする。
実名などについては確認等はできないが、あくまで故人の「歴史への責任」という遺志を尊び、そのまま公開する。
当時、会誌のようなものに本原稿が掲載されていたのを見た記憶があるが、会誌は手元にはない。(紙田彰)
[後書要約]
1988年11月9日(昭和63年11月9日)京都・幾松において、関東軍臨時第一野戦病院職員125名と第一二五師団通信隊初年兵10名のうち生存かつ連絡可能な62名で結成された「新通会」(新京の「新」と通化の「通」をとった)の総会が、参加者32名で催された。
このとき、山田一郎著「通化幾山河」について事実に相当違いがあるという多数の意見が出され、これに事件の渦中にいた者の体験談、疑問または意見を出し合い、さらにその後中共軍に留用されて判明した真相を書き加えてみようということになった。
未だ資料は完全に集められていないが、編集者の知っていた範囲内でとりあえず纏めてみた次第である。
参考資料について:
この資料は元共同通信社記者、社会部長・山田一郎氏の著「通化幾山河」(『秘録大東亜戦史』満州篇下巻、富士書苑、昭和28年)を基本的に参考にした。その中の元戦友の職員宇佐見晶氏の調査体験の結果も豊富なのでそのまま取り入れた。
平成元年4月11日(1989年4月11日)に脱稿す。
紙田治一 編集
(未定稿)
[作成時期]
2003.02.07