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フラメンコ踊ってきました

by on 4月.15, 2018, under 日記

昨日、フラメンコの発表会、無事終わりました。

 

ブエルタ(回転)のラストポーズ4回も無事決まり、
まずは、第一歩を踏み出せたかと。

(この写真のポーズより、2回転します。それを各パートのラストで4回やりました)

貫禄づけに、ヒゲ伸ばしたい!!

もう何年もやっている方の踊りを見て、

フラメンコは難しい踊りだなあと

でも、思いました。

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フラメンコ発表会

by on 4月.14, 2018, under 日記

明日というか、すでに今日ですが
2016年の10月から始めたフラメンコの最初のステージ
発表会での参加です。
誰もが踊るセビジャーナスですが、どんどんとハイテンポになっていき
とうとう本番は、BMP170の曲になっていました。

なかなか安定しなかったブエルタの二回転も、ほぼ安定してきました。
タップのところは、リズムは(頭で、感覚で)とれても、足がまだまだスッキリと動かないですが。

見物客が120名くらいもいるらしいので、センター最前線で踊るところがあるのですが

その時だけは、失敗したくないですね。

まあ、発表会というのは、練習を意欲的にするためのものであり、

そんなにムキにならなくても、発表会に出ないよりも、出た時の

練習の過程に意味があり、経験を得るためのものであることは、分かっているのですが。

今日まで、とりあえず、また一つはじめてのジャンルで発表会に参加できたことで

もう発表会が終わった気分ではありますが。

フラメンコって、やってみると、とっても「求心的」ですね。力の方向が内側に向いているような。

先日とあるいつものレッスンでラテンの振付を少し踊った時は、それに比べて

「なんて解放的なんだろう!」と思いました。

解放的なダンスというのは、多いと思うので、求心的なところは、なかなか面白いです。

「ふわ~」に対して、「クッ」て感じです。

手の表現とかは、見た目柔らかいんですが、指先が発光しているかのような強さがあります。

本日のセビジャーナスでの曲はコレですが

最初は、音・リズムをとるのも、えって感じでした。

やっと音や歌がしっくり入ってきて、早いなりにも聴きながら感じながら踊れるようになってきました。

ステップ少しでも遅れると、そこから追いつくの、とても大変ですが。

おかげさまで、耳がけっこう鍛えられたかもしれません。

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4月になったね

by on 4月.02, 2018, under 日記

今日は息子が保育園デビュー。

この写真は、息子ではなく

小さいときの自分の写真。

この頃、自分も保育園デビュー

だったんだろうなあ。

うちの息子は、これよりもまだまだ小さいけど。


先週、花粉症からくる喉痛(やや咽頭炎ぽい)に悩まされたが、

リステリンで鼻洗浄(ぬるま湯に塩いれて)したら、

びっくりするほど軽減した。

花粉症もかなり楽に。

リステリンはそのままだと、おそらくひどいことになるので

コーヒースプーン一杯程度くらいのみ入れて。

鼻から喉にも、その水を流して。

ヨガで使うジョウロみたいなのを使って。

鼻洗浄できる人には、おすすめです。

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中野の桜の名所の梅照院

by on 3月.31, 2018, under 日記

先日より、朝かならず近所を歩くようになりました。息子と一緒に。
中野の桜の名所の梅照院、この時期いつも混んでいるはずなのですが、
朝早かったから、無人で写真がキレイにとれました。

今日は、フラメンコのリハーサルです。

テンポが170BPMでかなり早く

しかもカウントの所には、あまり目立った音がないという

リズムがあっているのか、不安になるような曲ですが、

少しずつ、耳が慣れてきました。

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狭い意識

by on 3月.25, 2018, under ダンスノート, 日記

サルサクラブで踊るといろんなことを意識しなければならない。

音楽のリズムはもちろん、

自分の動きももちろん

さらに

相手の動き

周りの人達の動き

相手とのコミュニケーション

音楽の世界

次のリード

などなど。

いろいろ意識しなければ、ならないことがとても学びになる。

なにかに集中すればするほど、うまくいかない。

リズムは肉体で感じるものではない。

感覚で感じるものだ。

世界は、一感覚で感じるものではない。

広くまるごと感じるものだ。捉えるものだ。

無理に一生懸命踊ったら、もう踊りではないかもしれない。

振付にこだわったり、間違えないことにこだわった瞬間に

もう踊りではないかもしれない。

足元を見たら、もうそれは踊りではないかもしれない。

混みいってくると、もう右足なのか、左足なのかは関係なくなってくる。

正中線の下にある、なにかただステップでしかない。

相手や空間を見て、足元でなにが行われていようと、たいしたことではない。

僕らは、生まれて出てくる卵みたいな世界を踊っている。

「その場」でなにか生み出している。

大事なことは、「文句をいわない」ことだ。瞬間瞬間。

人生という踊りの中でも。

踊りという人生の中でも。

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