その古京都にて知遇を得、一瞬の若き日々を共に通過した彼の人は悟入して紗漫と称し、我は旅人となりて、数十年を経る。今、彼の人はさらに自在に時空を駆け巡る。
竹林と疎水とJAZZを懐に
山科の仙人は颯として逝くなり
その報せに吃驚し、二十数年前に訪ったときのことを鮮明に想い出していた。
前夜の酒を余韻に残し、長い髪を後ろに束ねた彼の人の案内で、山科疎水を歩いていたのだった。
道脇の竹林を微かに吹き抜ける風を感じながら、クチボソやタナゴの珍種を得た疎水の在り処などの話をしている仙人の優しげな貌が不思議に輝いている。
何らかのやりとりは別にして、相見えたのはそれが最後だったろう。
そういえば、仙人ということについては、前夜の酒席で、彼の人は真実の仙人であると私が断じたものだ。
なぜなら、私には、彼の人は世俗を離れて、真実をこそ生きていると強く感じられたからである。
紗漫仙人の没するを知りて、哀悼の文と弔歌を捧ぐ。友・紙田彰。
(C) 紙田彰, Akira Kamita.