【登録 2007/02/16】  
紙田彰[ 断片 ]


I氏への書簡1

 前略

先日はわざわざお越しいただきありがとうございます。
また、片づけを手伝わせるなど失礼いたしました。

喫茶店での話はとても楽しかったです。多次元論やひも理論をまともに話せる美術家にはなかなかお目にかかれないので、いささかストレスも解消できたしだいです。
さて、お礼かたがた、「思考を物質として考える」ということについて補足してみます。

人間存在の単位(かたまり)としての身体は統制機構であり、これは肉体と意識を統制している。
この身体というレベルは、包含-被包含の関係でいうと、包含することでこの構造体を統御している。「抑圧」と言い換えることもできる。
身体の下層にある肉体と意識はそれぞれ複数の単位あるいは部位を階層的、並列的にもっており、それらはそれぞれ独自のありようをしており、身体の管理機構の内部で上位の階層から抑圧されているわけで、つねにその状態において重層的に自由を奪われている(私の原理的アナーキズム発想ですが、このことからも、「身体」ということばの持つ官僚的な臭いが好きになれません)。
このようにして、肉体は、細胞(異性物の合成物でもある)、さらにDNAなどの下層にひたすら下り続け、意識は多重化、下意識などへと深化し続ける(生命-生物系構造体)。
さて、ここで、肉体や意識はそれぞれの下位の単位ごとに独自存在としての「かたまり」でもあるのだが、人間という「かたまり」のレベルでは身体に帰属し、身体が消滅するとそれ自体も失われることになる。閉じ込められた生命系のかたまりは、人間レベルでは身体の機能という属性を与えられているわけだ。
「思考」の話に転じると、まず、脳という身体部位が消滅すると「意識」という身体機能は失われる、というところがミソである。「意識」はそもそも、特に脳味噌における化学反応の発展的機能として、生命系の知的機能の累積概念として考えられる。
ここで、「思考」は意識によって生成された結果と考えてみる。「思考する」という動詞は意識の動作と「思考」という名詞形との中間にあるような気もするが、ここではとりあえず触れない。
さて、成果物としての「思考」は、これを生み出した意識や身体が消滅しても存在するのではないかというのが「思考子」論の眼目である。
たとえば、ピラミッドという建造物は謎に満ちているが、人間の思考の形象化であると考えることができる。稜線に見られる直線性だけでも、そのことに抽象された「思考」のかたまりを感得できるはずである。
またそのようにして、絵画にしても、文学にしても、文明の形跡は、かかわった人間が消滅しても(文明自体がなくなった場合も)、「思考」の形として、物質として存在しているわけだ。
その建造物が崩壊し、砂粒になったとしても、その砂粒の存在にそれまでのすべての「思考」が断片化されているのか、あるいはすべてであるのか、とにかく物質としてかたまりとして実在している。
さらに、この「思考」は実在しているだけでなく、次の実在を突き動かす可能性も秘めてもいる(ある「知」の系列があるとして、これと反応するなどで、新たな「思考」を創造する原因になるなどのこと。「思考」が「思考」を創造する、つまり実在を示す「エネルギー」をもっていることを述べている)。
このようなことから、思考を意識から分離させ、抽出して、独自存在(単位、かたまり)として実在させられないかと考えるのである。
(意識―精神―神霊的世界という流れは実在論とは別の問題のようなので、とりあえずは触れない。しかし、「あってもかまわないが、実在に影響を与えるようなエネルギーはない」とも考えている。)

この「思考」という物質が光子と類似しているのではないかというアイデアが次に続くわけです。
量子論の不確定性理論における測定者(器)という視点、波動論と粒子論の重なり、次元はつまるところ数学的仮定(ユークリッド的な仮想的直線性)という分析能(見る者の位相レベルにおける解析能)ではないかなど、これらは「見方の問題」として考えることができるのではないか。そして、この「見方」こそ「思考」そのものではないか。
さらに一歩踏み込むんでいくと、この「見方」自体がそもそも物質を作っているのではないか、この「見方」が測定者の位置(位相)での分析能という「思考」を意味しており、ひも理論が多次元を締めつけることで物質(宇宙)を作っていることと関係しているのではないか、と妄想はつきないわけです。
次元を分解する能力、つまり物質を解析する見方=「思考」が物質の原因あるいは密接に関係するものではないか、という飛躍です。

ちょっととりとめのない文章になってきたのでここでやめますが、要は「思考子」という、光子と同様のエネルギーを持つ物質を考えてみたのでした。

 (以下、略)
                 九拝

(未定稿)

[作成時期]  2007.02.15

(C) Akira Kamita