【登録 2008/03/02】  
紙田彰[ 断片 ]


〈存在と宇宙論〉
現在ポジション

一個の人間存在をミンコフスキー図の現在ポジションとすると、絶対未来は外部世界で、絶対過去が内部世界となるのかもしれない。
現在ポジションは極小のポジションなので、空間(世界)を持たない。また、過去は現在ポジションの内部にあり、現在ポジション抜きにはそれ自体で過去にはならないとすると、外部世界としての未来の空間が現在ポジションを通じて内部世界を構築するということが考えられる。
ミンコフスキーの時空図では、絶対未来が予定調和的に存在しているというのではなく、あくまでも時間軸の一点である現在は過去に移行しない場合は未来に移行するしかないことを示しているのであり、未来自体には何もないのである。
つまり、「未来があるから過去がある」ではなく、「未来自体は存在しないから過去がある」のではないか。未来へ移行する現在ポジションがあるから過去があり、未来はつねに現在ポジションであり、現在はつねに過去に含まれる。
そうであるならば、外部世界は空間を持つことはなく、過去は現在ポジションが未来へ移行して新たな現在ポジションになるたびにその領域を拡大していく。

内部世界は外部世界のコピーとしての、脳科学でいわれる「クオリア」的脳内現実であるとすると、この現在ポジションの移行による仮空間が内部世界に過渡的に仮-未来としての構造を与えるのではないか。この仮-時空が現在ポジションを通じて内部世界に現実を構築していく、まるで現在ポジションでのトンネル効果を連想させるように。
そうすると、外部世界に現実はなく、内部世界にのみ現実(日常レベルの世界)があることになる。現在ポジションは極小なので、ここにある空間は非因果律的世界である。そのため、つねに現在ポジションを頂点とした絶対過去にしか現実空間は存在しない。
ここではこのようにして、内部世界の成長に応じて、つまり現在ポジションの進行に応じて過去が累積される。
つまり、幼児期はより少ない過去を持ち、過去に対する関係性の領域が小さいのだが、成長にしたがってより多くの過去が増え、過去との関係の領域は大きくなり、そして遠い過去は手の届かないものとして(取り返しのつかない記憶として)散逸し、いわば閉じられていくのである。つまり、個体の老化はそのようにして手の届かない過去を「過去の闇」に葬り去るのであり、個体の死は過去をすべて閉じることによって、内的世界を閉じ、終焉させるのである。それは個体の死が、宇宙を閉じることに等しい。
個体にとっては外部世界は未来にあるので、死とともに未来は終了してしまうし、外部世界は存在しないに等しい。個体にとって未来と仮-未来は内部世界をつくる新しい情報のソースであるが、それは内部世界そのものではない。
また、全過去の情報が内部世界にあるということは、この情報を繰り返し再現することも組み立て直すことも、場合によってはタイムトラベルも脳内世界においては可能であることを示す。外部が絶対的になくとも、内部が複層化して外部の代替をすることも可能である。
このとき時間自体も内部情報となるのであれば、瞬間と極大の時間も情報構築の問題となるので、内部世界で組み立て、位置づけることも可能なので、外部世界とは無関係な時空を旅することもできる。
スライスされた宇宙情報を寄せ集めてホログラフを構築するのである。
このことを、実在論的な宇宙とは異なると断ずることもできないのではないか。
情報が実在するならば、この脳内複製情報が実在ではないともいえないようだ。

(未定稿)

[作成時期]  2007/05/20

(C) Akira Kamita