【登録 2002/09/15】  
紙田彰[ 断片 ]


〈「偶然の連鎖と消失」シリーズ〉
偶然の連鎖と消失


〈偶然〉
「これまで」の経緯は必然であるが、「これから」は偶然である。つまり、「偶然」の連鎖があるのみである。「必然」とは偶然の来歴を敍するもので、確かなのは偶然が偶然を生み出している、そのことである。

〈宇宙生成〉
無から、ビッグバンによって、宇宙が生まれる。すると、その瞬間に無が消失し、有が現れる。有が現れることによって無が意味をもたなくなり、無が消失するということになる。
ビッグバンは偶然であり、偶然の連鎖によって宇宙は拡大していく。このことは、宇宙成長においては、これを実現していくのは偶然のみであることをいう。偶然のビッグバンによって、無が消失するように、偶然はそれ以前のものを無意味にさせ、消失させる。つまり、偶然の連鎖は、偶然に生じた現在性のみが、事実であることを示す。
宇宙は、しかし、単に成長を無限につづけるわけではない。爆発・拡散・収縮というダイナミズムによる成長は永遠ではない。宇宙もまた、偶然によって、その反対イメージへと、突然、一挙に消失させられる。それは「凍結」というイメージである。これからは〈イメージ〉という言葉でしか、論理的には表せないだろう。
この「凍結」は瞬間を凍結するのであるから、動的な一切はイメージにとじこめられ、動的な要因は一挙に消失する。凍結したイメージのまま、宇宙は消失するのである。
この凍結は永遠につづく。
存在はつねに永遠にあるということは正しい。けれども、偶然がこの永遠を終了させるのである。永遠は偶然によって、事故的に終了させられる。
永遠の凍結は、まず永遠であることによって、永遠という尺度、永続するという現認を持つことが不可能であり、それ故、永遠ではない。つまり、一気にその全生涯を果たす。次に、偶然によって永遠が跡絶える。
偶然が生ずることで、凍結の反対イメージ、溶融が生ずる。
溶融はまた爆発、収縮、拡散でもある。しかし、これは「成長」ではなく、否定あるいは消失の連鎖としての爆発、収縮、拡散である。この生涯もまた偶然によって跡絶える。
次に来るのは無である。
この無は初めの無と同一であるか、別の無であるかは分らない。
ただ、次の偶然のビッグバンを待つ、永遠の無である。

(未定稿)

[作成時期]  2001.xx.xx

(C) Akira Kamita