【登録 2005/09/07】  
紙田彰[ 断片 ]


オートマティックな助走

疲れているときの思考、あるいは意欲は打ちのめされているのか。まとまりのつかないものがぼんやりとでもあるということもなく、ただ、体の疲れが。しかし、本当なのか。書くことに臆している、怠けている、意志に結びつかないだけなのでは。
このように歯止めのない筆記をしていると、しだいに何やらが出てくる。それが、書く神経なり意識なりに助走を与えるか、慣性的な一歩を与えればいいのではないか。
何とか、現在、こうして書きつづけていける。一時は書くことができないのかと危惧もした。
疲れてはいるが、手を動かすことで文が出現することは事実のようだ。とりとめのないでたらめの文でも、十分、助走の役には立つようだ。ということで、この文はただの助走のための走り書きにすぎない。

絵を描いているときに文章を書くという方向がなかなかつかめないような感じを最近持っていたが、というのはこのところ絵を描くことに精神も肉体ものめっていたからであるが、しかし、そのようなことではなく、ただ書くことを離れていたために、書くことの滑りが悪くなっていたに過ぎないようだ。
文字にしても、こうして滑りがいったん出てくると、書き慣れているような筆跡が生まれてくる。
何とも、人間の動作はうまくできているようだ。
これも助走。
ところで、助走というのは捨て文のこと也。

2005年6月「第8回個展」会期中の断片

(未定稿)

[作成時期]  2005.06.21

(C) Akira Kamita