息を吹きかけたとき
奥行きがあるように見えるが、向こうは平坦で、向こうの歴史の光が異なるだけで、つまりは時間の凹凸が色の違いをもたらし、奥行きと見せている。
だが、私の見る奥行きは、私の視覚の反応時間、すなわち脳の反応であるから、内部に距離の構造を作っている。
そこでは、向こうは平坦ではなく、空間を認知しているのである。
だとすれば、「私」から見た場合、奥行きは確かに存在している。つまり、私の内部に奥行きが存在しているということは、宇宙が鏡面であって、内部が実在であるという逆転も考えられる。
そうであれば、まさしくキャンバスという平面は宇宙そのもの、コズミック・ミラーという側面があるのではないか。
平面に平坦な平面を重ねていくという行為はまぎれもなく創成の業、光の創造であるのかもしれない。
すると、描き手の私は、キャンバスの向こうから見たときに、視ることのできない一点、始まりのstringの一振動となるのかもしれない。
息を吹きかけたとき、生命は漲る。
2005.9.26-10.1 第10回個展にて
(未定稿)
[作成時期]
2005.09.28