[資料] アピール! 天安門事件: 05(中国人活動家・著)[了]

 その日の午前中、首都鉄鋼公司の労働者も学生支持に回ろうとしているという情報を耳にした李鵬は急いで首都鉄鋼公司に飛んで行き、そこの職員と座談会を開いた。
 十三日、十四日の二日間、閻明復は夜を日に継いで、有名人と「五・四」運動の参加者に来てもらって、ハンスト決行中の学生との交渉を続けたが、十四日の夜七時、閻明復は涙ながら、学生説得に失敗したと宣言し、「諸君はどうしても党中央に白黒をつけさせ、対立させるならば、諸君の行動は改革派にとって非常に不利である。趙紫陽同志の意図もますます実施できなくなり、第一線で活躍している同志の仕事に大きなダメージをもたらすことになる」と言った。
 十四日の真夜中、学生のハンストはなにがなんでもこれ以上続いてはいけないと思い、趙紫陽は十五日の早朝、学生を訪ねると決意し、車まで手配したが、李鵬が出てきて、もし広場へ学生を訪ねたら、党中央を分裂させることになるぞと言って、それを阻止した。趙紫陽の車は広場を遠巻きに二周しただけで帰ってきた。
 十五日、ハンスト中の学生数百名は意識不明になり倒れた。けたたましい救急車のサイレンが北京の各街道にひびきわたった。
 長安街に色とりどりの旗が掲げられ、ソビエト共産党書記長ゴルバチョフの歓迎準備が始まった。百万人にのぼる人々は大学教授、講師、学者、ジャーナリスト、作家たちの掲げる知識界という横断幕を先頭に街頭に繰り出した。彼らの掲げたスローガンは、「学生は国を愛し、私は学生を愛する」「私たちの子供はお腹をすかして頑張っているが、鄧小平、あなたの子供は何をしている?」である。今日の深夜零時に、もし政府からの回答がないと、十一名の学生が焼身自殺するという情報がデモ行進の大軍の中に伝わった。北京市民の感情はもう爆発寸前になった。
 夜のテレビニュースには、楊尚昆がゴルバチョフを歓迎するセレモニーを首都空港に場所を変えたというニュースもあれば、同時に人民大会堂で歓迎レセプションを行うというニュースもあった。
 中国の知識人はゴルバチョフにずいぶん好感を抱いているが、とくにゴルバチョフの「グラスノスチ」に共鳴している。
 十六日、前日よりもっと多くの知識人と大衆が街に出て、政府当局への憤りとゴルバチョフの主張への称賛を表明した。
 同日、鄧小平は西山からやってきて、ゴルバチョフと会見し、中ソ首脳の歴史的会談を完成させたのである。