[資料] アピール! 天安門事件: 05(中国人活動家・著)[了]

●Date : 5:31pm 1/ 2/90 From : pcs00372 (直江屋緑字斎)

中南海上層部争いの真相――戒厳にいたるまでの激闘

 11 鄧小平自ら武漢へ、兵を移動させ、将軍を派遣しに赴く
 十九日の早朝、趙紫陽は単独で広場へ、ハンガーストライキ中の学生を見舞いに行った。彼は学生たちのバスに乗り込み、学生のハンドマイクで、涙を流しながら学生に語りかけた。健康を回復し、中国が四つの近代化の実現するその日を、生きて見られるように期待し、そして「私たちと違って君たちはまだ若い。私たちはもう老いぼれになっているから、何も惜しいものはない。国家と君たちの父母が君たちを大学まで行かせたのは並大抵のことではないよ」と、しみじみと話した。すっかり感動してしまった学生たちは、十九日の夜九時からハンガーストライキを打ち切り、座り込みに変えた。
 その日、鄧小平は軍事委員会拡大会議を召集しに、武漢に出かけた。「第二の指揮センター」を設置するとも言った。
 同日午後、北京市では所長級以上の幹部大会を開き、「四・二六」社説の認識を統一することを再び強調して、これからの言論は李鵬の講話に倣えとも要求した。
 それと同時に「中国経済体制改革研究所」「国務院農業研究センター発展研究所」「北京青年経済学会」「中国信託公司国際問題研究センター」が連名で、時局についての六項目の声明文を出した。「事態が悪化し続けている。間違ったことを固持してさらに新たな過ちを犯してしまい、はては極端な行動(たとえば軍事管制)を取るならば、真の動乱、ないし民族分裂まで引き起こす恐れがある。このような暗黒な前途は、文化大革命の十年間の動乱を経験した中国人民にとても受け入れられるものではない」という内容である。
 天安門広場、天安門広場と、天安門広場に思いを馳せる市民なら、だれでも時局の緊迫していることに感づいているし、巨大な圧力をも感じている。
 六時頃、轟音を響かせながら入城する戦車の列に市民たちは驚いた。実弾装填済みの機関銃、軍用トラック、ミサイル部隊。人々は自身の肉体でもってそれを阻止しようとした。年寄りの老婦人は車輪の前に寝転がりながら、「天安門広場へ行ってはいけない。あそこは子供たちばかりだから」と叫んだ。
 十時、動乱を鎮圧する李鵬の講話が伝わってきた。それにつづいて入ったのは、部隊が北京城に進駐するという楊尚昆の布告である。
 十二時、テレビの視聴者は趙紫陽総書記がその会議に出ていないことを知った。