[資料] 戒厳令下の北京を訪ねて【上海篇】[04](直江屋緑字斎)

 右も左も分からないので、最初の一泊はしようがないと思っていたので、おそらくその日ただ一人の外国人として、このホテルに宿泊した。271元(1元39円、1万569円)、もちろんツイン、香港の一流ホテル並みの大理石をふんだんに使った豪華な部屋で、中国茶はもちろん、フルーツをかわいい少女の服務員が運んできた。サービスに感心したというより、態度が実にすがすがしい感じがした。
 きっと外国人用の高級ホテル向けに教育したものか、あるいは容貌や様子のいい少女を上層が選択してここに配置したのだろう。
 私はこの少女に悪意があるわけではない。それどころか、素直で無垢なその幼さを貴いものだと思っている。ただ、このようなところにも、人間を人間として考えていないというような、上からの選択、一方的な労働の分配が、確かに現れているに違いないのだと考えていたのである。明らかに女性を外見的な美醜で特別に引き立て配置していることは、この後にも感じたが、私にはそのようなことはやはり許せないことのように思われた。資本主義でも人間は商品でしかないが、ここは少なくともマルクス主義を標榜している国なのである。
「先富起来」、鄧小平、胡耀邦、趙紫陽の改革派が中央を掌握した頃からいわれだしたこの言葉は、都市における経済開放政策のモデルである上海をイメージするのかも知れない。もちろん、日本人の日本における金銭感覚からすれば、この超一流ホテルは特別に高いものとは思われないかも知れない。しかし、この国の普通の労働者で月々の収入が100元だとか200元だとか聞いている身には、心中穏やかならぬものを感じていたのも事実である。
 本当に後を追うものにも富が訪れるのだろうか。
 ただ、このホテル、日本にダイレクトコールができたので、これに関しては安心した(翌日、別のホテルに移ったが、そこでもダイレクトに国際通話ができた)。つまり、盗聴に関しては、上海の場合はそれほど苛酷ではないのかも知れないということだ。
 それにしても、人の気配のないホテル。敷地内のレストランやショップ等は早くから店仕舞いしているし、とにかく照明もあちこちで落とし、実に暗い。
 着いた早々であるが、とにかく街に出て、人々の顔を見たいと考えていた。

(c)1989, Akira Kamita