[資料] 天安門事件: 内側から見た恐怖政治[01] (佐丸寛人)

 しかし、5月末になると、疲れ・飽き・諦めのため運動は下火になり、かろうじて少数の学生のみが座り込みを続けるという有り様になってきた。私と最も縁の深いB大でも、キャンパスを歩くと、ぶらぶらしている学生が多い。一人知っている学生に会ったので、
「授業にも出ず、広場にも行かないで、こんな所で何をしているんだ」
 と聞くと、「まだ座っている連中もいますが、僕はもう興味がないんです。今回の運動も大勢が見えてきましたね。失敗ですよ」
 という情けない返事が返ってきた。彼もつい1週間ぐらい前までは、
「兵隊も声援を送ってくれています。ここまで盛り上がってしまったら、もう鎮圧しようったってできませんよ」
 と楽観的だったのだが。
 私は始め今回の運動に対して「頑張っているな」という程度で、特に積極的に参加しようという意志はなかったのだが、5月19日(戒厳令布告の前日)に李鵬の横暴な演説を聞いて憤慨し、以来こんな愚か者を人民の頭上に君臨させてはならないと思うようになった。だが、学生たちは、憤慨はしたもののそれが運動再活性化にはつながらず、李鵬たちの悪口を言いながらも運動全体は尻すぼみという感じだった。
 そこで一日(いちじつ)、私は知り合いの学生を数人連れて広場に行った。最初は「今時、流行遅れですよ」というようなことを言われたが、彼らも毎日、ギターを弾いたり卓球をしたりで退屈しきっていたため、行こうと言ったら素直についてきた。
 広場に着くと、もはやデモは殆どなく、200人弱の学生が座っているだけだった。広場の一角に縄で仕切った「聖域」とでも言うべき場所があって、学生や労働者の活動家のみが入れるのだが、そこに座るのである。市民たちは、宣伝ビラや政府批判の文章のコピーをとても欲しがり、縄の所まで来て手を伸ばし、「何か新しい情報はないか」と言ってくる。そして、学生がビラを撒くと群がって拾うという具合だった。私も「聖域」の中で座っていたのだが、概して雰囲気はなごやかだった。ただ、張り紙の中に若干「胡耀邦も 紫陽も李鵬も鄧小平の魁儡に過ぎない」とか「我が国最大の欠陥は一党独裁である」といった鋭いものがあった。
 私は、また新たに何人かの学生と知り合いになれたことや運動に参加できたことで充実感を味わったが、同時にこの運動がじり貧になって自然消滅するのも時間の問題という印象も受けた。

バスによるデモ隊。民主化運動が盛んな時。甘粛省にて (1989.5.19, 撮影: 佐丸寛人)

バスによるデモ隊。民主化運動が盛んな時。甘粛省にて (1989.5.19, 撮影: 佐丸寛人)