[資料] 天安門事件: 内側から見た恐怖政治[02] (佐丸寛人)

 かくして、「あれは本当に暴乱だったのかもしれない」と思うようになるのである。私も段々頭がぼうっとしてきて、涌き出る泉のような我が国の情報に早く漬からないと、生きたミイラのようになってしまうのではないかという恐れがあった。とにかく、「6月4日事件」に関して言うなら、中国にいた時より帰国してから学んだ知識の方が遥かに多いのは事実である。

 五、私たちに何ができるか
 私には、今の当局は圧倒的な力を持っているように見える。人民に「仁・義・礼・智」がすべて備わっていても一つの「武」の前には歯が立たない、というのが私の感想である。独裁政権というのは何かの拍子で意外にあっけなく倒れることもあるが、やはりブレジネフ・ソ連のような長期停滞時代に入る可能性の方がずっと高いのではないだろうか。
 では、私に何ができるだろう。何もできないのではないか、という気がして仕様がない。声高に「自由・人権」を叫んだとて、「反社会主義」の烙印を押されてたたき出されるのが関の山である。私はそれでも国外追放で済むが、共産党の手の平の中にいる中国の友人たちは何をされるかわからない。
 結局、少しでも情報を持っている者はそれを提供し、読む側・聞く側もそれを少しでも多く集めて最善の策を模索するしかないであろう。「過剰」「氾濫」「玉石混交」と言われる我が国の情報ではあるが、宣伝・脅迫だけで真の情報がない国から帰ってくると、やはり素晴らしいことだと思う。
 それに、一人の東アジア人として、隣人たちがあのような暴政に苦しんでいるというのは放って置けないことである。そういう気持ちもあって、何の役に立つかもわからないこの拙い文を書いた次第である。    平成元(1989)年7月
 注 7月13日、肖氏に懲役10年の判決が下った(『朝日新聞』1989.7.15「米TV取材の労働者懲役刑」)