未刊行詩集『空中の書』25: 誘惑

ほどなく光の渦の廻転が緩やかになり、動きの中心に一種類の色が現われ、それが橙、藍色、ピンク、黄色という具合に順次変ってゆき、銀色の光のところで動きを停めると、それきり光の変化は見られなかった。賭台の中からも、同じように銀色の光だけが天井に向かってまっすぐ伸びていた。ルーレット盤から発せられた方の光は傾きをもっていたため、賭台から伸びている光と交錯していたのだが、中空のそのあたりが血の色を帯びているように感じたのは錯覚だったのかも知れない。
テーブルの周りにいた人々の中には賭けに勝った者は誰もいなかったらしく、皆、すごすごとその場から離れ、賭台の上には空になったリキュールグラスだけが残されていた。
素晴しいルーレットですね、そういいながら少しく腑に落ちぬところがあったので、ディーラーはいないのですか、そういえば賭金もチップも見当たりませんね、皆さん、あれほどうちしおれているというのに……、沈んだ様子の女の深い憂いがこもった瞳を見つめて呟いてみた。
ディーラーは必要ないのです、そしてこのルーレットにはお金など賭けないのです、賭けているものにお気づきになりませんこと、そういうと女はグラスを目の高さに掲げた。このお酒、そうです、このお酒を賭けているのです、空のグラスが酒で満たされているかのように附け加えた。
そうか、そういうわけか、それで負けるとグラスが空になるのか、そう考えると無性に嬉しくなった。それでそのお酒はよほど強いのでしょうか、私はアルコールには自信があるのですが、ひとつ銘柄をお聞きしたいものですね、招待客に酒を振舞う趣向なのかと納得したのである。
そうではないのです、あなたは思い違いをなすってらっしゃる、……あのグラスに入っていた真赤な液体は夢なのです、皆さん、ご自分の夢を賭けてらっしゃるのですわ。
なんですって、夢ですと――なるほど夢を賭けるとはうまい比喩ですね、たしかにそれは男のロマンというものだ、面白い、では私も遊ばせてもらいましょうか。
よろしいのですか、負けると夢が減っていくのですよ、女は気にかかることをいったが、好奇心には勝てなかった。
どうすればこの空のグラスに夢を注いでいただけるのでしょう、先ほどからの疑問を口に出してみた。