魔の満月 i – 4(闇に囁くものたちの勢力が……)

エルドレは飛び起きると部屋の隅に設けられている螺旋階段をぐるぐるぐるぐる駈け上がる
二階には“賢者の階段”“エリクシルを調整するときの輝かしい石の書”“秘密を開明することの書”そしてあのゲーベルの“慈悲の書”や“濃化の書”さらに有名なるヘルメスの“偽デモクリトスの書”また“天球分割の理解の終局”などという金箔で象嵌された題字をもつ古代の書物を厖大な書架に収蔵した立派な図書館や 歴代の翕侯きゅうこうやその眷族を讃えた彫像や愛妾たちの肖像を飾った美術館がある
だが今や紅蓮の炎に包まれ それら真昼の文明は滅びようとしている
階下ではおよそ一万人の若者がそれに殉じている
屋上の空中遊園の花々は炎の中で妖しく揺らめき その絶世の艶やかさは大饗宴の供物と化した焼け爛れる人肉を滋養にしているかのようだ
エルドレは階段を昇りきり 中央に鋭くそそり立つ天文台に入り込み そこから空を見上げると ありとある喧噪がまるで他所事であるかのような美しい光景が展開されているのを知る
おお天を視よ
漆黒の夜空には流動体の火が流れている
様々の色 特に紫や赤に変化する一条の焔から薔薇色の光沢をもつ色彩が発せられる
中宇に一つの手が現れ 薔薇色の光沢はまずその背後に密着し それから包むようにその周囲を優しく舞っている
地獄第七界に君臨する大王は地上に顕現し人体宇宙の中枢に大洪水を齎すのであろうか
その色彩と手とは ゆるやかな弧を描き彼方へ去りゆこうとするが 今にも消え入ろうというあたりで停止し その地点に明るい光が現れる
手はそこからさらに後退しようとするが 突然鳥に変貌してより自由に飛翔する
そのうち羽撃く大鳥は石のように硬直してなおも飛びまわる
それは最初真珠色の光沢をもっているが ついには黒色に至ってこの天文台目がけて墜ちてこようとするのである
空と地はこの天文台に向って近づいてくる
周囲の色は灼けるような鮮紅色だ
あらゆる物質は熔かされてゆく
エルドレは世界の混淆とともに何処へ流されてゆくのだろう
出入口といえば あの青銅の衛士の守護する緋の扉しかないというのに