魔の満月 ii – 2(エルドレは周囲を見回して……)

膨らんだ帆の周囲でちらちらと赤い火が揺らめく
鬱蒼たる深山の樹々に生るいぼ胡瓜きゅうりの形をした蛭のように 今にも首筋や肩や脇腹に喰らいつこうとして
一日交代の生命を満喫しようと船乗りたちの顔に貼りつく双児座の鬼火
プトレマイオスの“四書”テトラビプロスは航海の神秘を開明する底本である
ピトルビウスは“星位によって人の運勢を占い過去と未来をいい当てる術はカルデア人の計算法に委ねられる”と述べている
魔方陣や友愛数など東方の文明を載せた船の中でアルカナは奇怪な姿を呈する
亡霊たちはしこたま酩酊し武士もののふの栄光を甲板に吐く
いかなる予言と命数法が定められているのだろう
鰻のごとき腰巻を払いのけ丸裸になった彼らの毛穴から 酒気を含んだ汗が発せられ 噎せ返るような獣の精気をあたりに充溢させる
赤く染まった眼がふわふわと漂う
巨神プロメーテウスの息子デウカリオーンの手で放たれた瓦礫は骨と肉と血管を顕し荒々しい海の男を創造する
エルドレは跳ね廻る彼らの躯を通過しながら舳先の方に歩む
物質と物質は混淆しない
エルドレは幻惑であるがゆえに彼らから見知られることはない
男たちは鉄板の上に不吉な光を帯びた炬火を並べ火渡りや鉄火術や熱湯術を試みる
円陣を作り剣の技巧を競ったりレスリングに興じる
威嚇する太い唸り声や罵声や見事な技に感嘆狂喜する叫びで喧噪はますます絶頂を極め 檣の天辺から布張りの飛行器巧グライダーを背負って滑空する者まで現れる
両方枕でこのちらちら赤く浮游する炎を眺めながら エルドレの胸中に不思議な安堵が訪れる
いつのまにやらひたひた寄せる潮騒が聞こえる
度胸を誇った船乗りはそれぞれ対になって次第に物蔭で身を横たえる