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戒厳令下の北京を訪ねて

8

 ところで、暗い上海の街から市の西部にあるこのホテルに帰ってくると、この近代的なきらびやかな建物が、冷たい墓場か納骨堂ででもあるように思えてならない。人けがないからなおのことそう思うのである。

 ベッドに体を投げ出して、中国産の罐ビール(Pi jiu)を呑みながら、日本から持ってきた短波ラジオをつけると日本向けの北京放送が入ってきた。驚いたことに、この時期に、井上靖と中野良子が北京放送何十周年記念だかの祝いのメッセージを述べていた。井上靖は今回の弾圧に抗議する文化人の署名に参加しているはずだから、おそらくそれ以前のテープなのだろう。そう信じたいものだと私は声に出してみた。
 歩き疲れたせいか、ビールのためか、ぼうっとした頭の中で夜の人々の流れを反芻していたが、人々というものはすばらしく日常的で、それゆえすばらしく強く、そのようなところではなにものかに抑圧されているような暗さは微塵もないのであった。
 私は、どうも日本のレベルでこの厖大なマッスを過小評価していたのかも知れない。
 中国の人々は偉大である。
 彼らは大きな波の中でしか生きないのである。
 あの100万の人間を直接に制圧するような力などこの国の支配者のどこにもなかったということをみれば、このことは明らかだ。そのことを知っているからこそ、突然に日常生活に埋もれることもできるのだろう。そして、抑圧などどこにあるのかというふうに無視し続けることもできる。
 このことは都市においてはすでに制度で強制しきれない事態にいたっているということを示すものなのかも知れない。
 どう、年をとった支配者があがこうが、まちがいなく中国はこの都市を通じて変わる。そのような大きな波がいまきていると私は思っている。日本が過去に偶然に経験した、何ものかが終わり、何ものかが始まる、その力が、この都市に感じられるからである。

 だが、この日……。
 北京放送は、「上海市中級人民法院は同日午後、上海ビール工場契約労働者、徐国明、上海無線電信工場労働者、厳雪栄および無職の卞漢武の3人に対し、市高級人民法院の死刑執行に関する命令を宣告。3人はこのあと刑場に護送され、銃殺刑に処された」と発表していた。
 さらに死刑執行は見せしめのため公開され、約3000人がこれを見守った。3人は次々に首の後ろを打ち抜かれたという。
「この事件は6日夜から7日未明にかけて、同市光新路の踏切で発生した。6人が死亡、6人が負傷したほか、客車9両、警察パトカー6台、郵袋900個が焼かれ、50時間にわたり鉄道の運行がストップした。4日の北京・天安門広場の武力制圧で多数の死傷者が出たとのうわさが流れる中で、『軍人、戦車を運ぶらしい』と知った群衆が貨車を阻止していたところへ、北京発上海行きの列車が突っ込んで騒ぎが広がった」(共同通信6月22日配信から)
 処刑された労働者の名前を、私はしっかり書き留める必要があると思った。何が真実であるか、それは誰が何をしっかり記録しておくかということと無関係ではないからだ。

 処刑のあった同じ上海の高層ホテルの空中の部屋で、私は暗い、あまりに暗い夜に閉じこめられていた。
(中絶)


(c)1989, Akira Kamita

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