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【詩篇】紙田彰



句集 睡りつづけるものらよ
――1995年 父の看病日誌より


六月三十日

この闘ひ 送るべきは讃辞のみなり
生きてゐる限りは真実の命なり


七月一日

夢の話す夢は夢ではない


七月四日

起きてゐることも眠つてゐることもそのまま


七月五日

指の動きに指の夢あり


七月六日

光の届いてゐるに違ひない父の寐床
生命の破片を紡ぐ完璧な世界、魂は凝縮する


七月七日

夢の断片の持続、接続
無限の超論理


七月九日

断片のつながる無限の可能性、永遠の勇気


七月十日

迷つてゐるのではない 確かめてゐるに違ひないのだ
意識と躯、意識と躯


七月十二日

落ち合ふことを決めたのではなかつたが
再び見えるときに目が開く


七月十三日

何も見てゐないといふのではなく
深い深い、つまり大宇宙よりも巨きな内宇宙を
見てゐるのである


七月十四日

何処を捜してゐるのだらう
ふるへる足の指、手の指


七月十九日

音楽の上の音が
新しい道に達するといふ可能性


七月十七日

人間の深い器官
音を超える音の掘り当てるもの


七月十八日

もう大丈夫だと口を開いたその顔を
未明に見てゐた


七月十九日

静かに眼を開くときの表情が
捉へて離さぬもの 伝ふべき意志


七月二十日

夢の中で語り合ふたしかな意志
横たはる躯のたしかな意志


七月二十一日

脳といふ水脈
辿り着くべき水の宝石


七月二十三日

夜が深いのか昼が深いのか
夏の光の閉ぢてゆく開いてゆく


七月二十四日

光に跡切らるゝ記憶の夏
一日の在り処


七月二十五日

あきらむることは不可能なのだから
生きてゐるといふただ一つの真実がある


七月二十六日

外側の世界だけではなく
世界の内側へ
いのちの道筋 夢の水路


七月二十七日

意識の起伏あるいは意志の襞
泳ぎきるこの勇気


七月三十一日

重ねられた掌の内に動かぬもの
古い皮膚、睡り、水の温もり


八月四日

夜ばかりでもない昼ばかりでもない
扉を叩く音が聞こえてゐるに違ひない
あらはれのはざま


八月五日

声の届くところを越え
ものの見えるところを越え
滾り立つ生命、その意志


八月八日

形にとらはれるでもなくとらはれ
思考が燃え上がる一瞬の全宇宙


八月九日

濃密なとどこほり
時間が物質化する
思考の発生


八月十日

伝ふるべきものの困難さ
伝ふべきもののはかなさ
たしかに精神は起きてゐる


八月十一日

断定すべきではい
忖度すべきでもない
この躯
その意志を


八月十五日

ハレーションの中を疾つてゐる
赤い光、銀色の軌道、白い渦


八月十六日

軸の中の軸
微かに回転する
宇宙と思考


八月十七日

夏が睡つてゐる
おしつつむ熱
おしつつむ光
思考の闇を秘めて


八月十八日

額の奥の源に向けて
宇宙は震動する
かすかな地鳴りが


八月二十日

思考が実験してゐる
この肉体


八月二十一日

表情では読み取ることのできぬ
表情を
誕生させる思考


八月二十二日

夢のからだといふ旋律をうけて
躯を形づくる宇宙の中のからだの
ピアニッシモ


八月二十四日

言葉の中の言葉を包む多義性
多義性を紡ぐ数々の思考


八月二十五日

紡がれる破片の量の可能性に
指を開いてみる


八月二十七日

打ち寄せる動悸
打ち寄せる声の本質
漂ふ躯
思考が収斂する


八月二十八日

空中の病室
空中の時間
結ばれる夢の皮膚


八月二十九日

流れが変はるのを見落とすべきではない
流れの変はり目にひそむ時がある


八月三十日

光の長い時間に
晶化する
夢といふ思考


八月三十一日

水が盈ちてゐる
洩れる音楽
生きる闘争


九月一日

この強靭さを学ぶべし


九月二日

この躯に渦巻く強い生命
讃ふべし その意志


九月三日

横たはる躯の深みに
とだえることのない夢の意志


九月四日

夢の中で語る声が
ふたたび躯の中から外へ


九月五日

枝を伸ばさうと膨れる樹木
精神のありかも動いてゐる


九月六日

肉体の中には手で触れられない
なぜなら 手を擦り抜ける本質


九月七日

秋の光の中に鎖されることもなく
開かれることもなく
ただよひつづける
眠りの燦き


九月八日

声の届かぬ部屋の中で
声の届かぬ声を伝へる
いま 何を見るべきなのか


九月九日

病のトンネルをくぐり抜ける
凄絶な闘志あり
永遠に負けることのない


九月十一日

また力が起ち上がつてきてゐる
この活性の根源にあるもの


九月十二日

精神が受容体であるならば
これを促進させる要因とは


九月十三日

意志が呼吸を支へてゐる
意志が耳を澄ましてゐる


九月十四日

体内に立つ炎
体内に立つ誇り


九月十五日

水を見る躯
水に触れる躯
横たはる夢


九月十六日

意識が何処にあるといふのでもなく
ただたしかに混濁の底に横たはるもの


九月十七日

嵐の底で覚醒する
怒りと
怒りを抑制すること
囚はれることのすべてから


九月十八日

体内のどこを移動するか
神経と意志のつなぎ目


九月十九日

空間が発赤する
皮膜の向ふに外部宇宙
内部が拡がりはじめてゐる


九月二十日

また闘ひが始まる
骨格の奥に深い夜がひそんでゐる


九月二十一日

呼び声が聞こえてゐる
体内宇宙では
声が熱になる


九月二十二日午前十一時二十五分 永眠

同じ形をしたものが
同じ形を生きつづける
いつでも
同じところに
同じやうにして
会ふことも

(資料 父・紙田冶一の碑文


(c) Akira Kamita

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