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【詩篇】紙田彰



呪縛の宮殿


怪物の呪縛によって実に数千年の荒廃を余儀なくされていた城は栄光も彩やかな祝福に充ちて蜃気楼のように荒涼とした砂漠の真ん中にその華麗な姿を浮かび上がらせる

(神々の遣し給うたあの若者は受胎と出産との死と復活との暗い渓間から聖なる肌着を盗み出したであろうか……
(否 かつてそのようなことはなくただ我々こそが彼の者の躰をそれで包んだのである 誓っていうが我々の秘術を尽くした生体実験の段階ではアキレウスの細胞には渓間の記憶は誌されていない……
(なんと彼の刑は施されてしまったのか では若者の撓やかな肌は何処に蔵ってあるのだ……
(ひひひ なんの抜かりがあるものか 神殿の西南西に奉ってある龕の中 永劫の焔とともに背教の生き物が護っているわさ……

 若者が獰猛果敢なる軍隊を率いて打ち滅ぼした怪物は死の間際に瑞々しく輝いている花苑や香ぐわしい風また若草色の唐草の絡まる円形の城壁の奥から聞える華やいだ乙女たちの唄声に抱かれて“泉の甘い水を呑んでいる貴公らの駿馬を見るがよい 赤毛の悍馬どもがみるみる黄金の彫像に化身しているではないか”と叫びながら次の物語を開示する

(儂らの来歴は神々よりも随分と古くいわば人々のよく口にする謎に充ちたものなのだ 儂らの躰には細胞というものはなく御承知のように形状などというものとは一切無縁である 儂らは貴公らが考えている以上に複雑な法則によって存在している その法則こそ謎の中枢なのであるから詳らかに述べる必要はないがただ貴公らのみる夢のありようと儂らの生殖の原理が完全に一致しているだろうということだけを申しておこう さて儂らが呪縛していたこの城こそは神々が両性具有の美神のために造られたものである それは永劫の輪廻を徴す無限の円形によって形造られたことでも了解されよう 大広間の壁画には想像を絶するような種類と数との生命がさながら瀑布のように歓喜を迸らせ庭園や大小の部屋とりわけ神殿に置かれている幾多の彫刻は凶々しいまでに実に生き生きとしている 不思議な按配で天空に吊り下げられている浮上遊園には大規模な噴水や漏刻が七色の光をふり撒き毒々しいまでに見事な色や匂いや形をもつ植物が咲き乱れ可愛らしい表情をみせる小動物たちは灌木の茂みからその顔を覗かせ最も美しい声で賑う鳥どもは華麗なる飛行の姿勢のまま宙宇に貼りついている おお空前絶後の空中楼閣よ 確かにそれは蜃気楼に相違ない なぜならばあらゆるものが完璧な美しさを備え不動の命を保っているからだ そうなのだ この城こそは死者たちの恐ろしき居城である 貴公らの馬が黄金の彫鐫になってゆく様を見るがいい 正確に事物を見極める眼に祝福あれ ところで神々は儂らを最も醜い生き物として蔑んでいた 儂らが宇宙の誕生の素であることを憎んでいたのである だが儂らを滅せば神々の箱庭どころか神々の存在すらも危くなることも同時に知っていたのである そうだ 儂らは第一原因なのだ それであるとき神々は儂らの前に現われて次の様な取引を提案した “邪悪なる者たちよ 私はお前たち以上のものではない かといってお前たち以下のものでも決してない なるほどお前たちは第一原因であるかもしれない また形状のないお前たちの方が余程事実なのであるかもしれない だがそれが一体どうであるというのだ お前たちと私のどちらが原因であり結果であってもまた事実であり夢であったとしてもそれは別段なにものをも更改できる筈がない だが宇宙生成の目的について考えてみるならば私たちは高邁なる意志と智慧とによって善と美による至福の王国を打ち建てようという優れた熱情にあふれているのに比して木偶の坊であるお前たちはただいたずらに原因であり事実であるに過ぎないではないか” 儂らは極めてもっともなことであると思った だから儂らに何をしろというのかと問うと“私たちは宇宙の偉大な運行に従ってお前たちの立場と私たちの立場を交換しようと思う 私たちの世界である安らぎを代償にしてお前たちの罪に充ちた世界を肩代わりしようという訳だ お前たちにとっても静かな眠りと空想のうちに悠久の時間を貪っていた方が幸福というものではないか”と有無を云わせぬ要求をしたのである 儂らはこのようにして永久に光の世界から逐われた訳だ 確かに儂らには高い理想もなくただ成り行きに任せた生き方をしているのであるし儂らの定形のない肉体にしたところでそれに見合った何ものもない漠とした世界の方が環境として最適なのだから文句のつけようなどなかったのである そうしてどれほど厖大な時が流れたであろう 何の不足もなく勝手気儘に暮らしていると ある日儂らのうちの比較的年長のものが苦痛を訴え始めたのである このようなことはかつてなかったことだ 儂らにはどのような苦痛も絶対にありえようがない筈なのだ だがそれは短期間のうちに族の全体に蔓延してしまったのである 儂らは儂らの躰を綿密に調べてみた すると儂らの躰のある箇所に極めて小さくではあるが活発な増殖力をもつ細胞ができあがっていたのである 無論儂らには定まった形などなかったのであるからそのような物質ができると堪えようのない苦しみに襲われる 儂らは相談した挙句にそれを呪縛することにした おおその細胞こそ貴公らが解放しこれから赴こうとしている宮殿なのだ 儂らは自分たちを小さな細胞に向けて開いてゆきその結果宮殿を呪縛したのである それまであの宮殿は黄金と宝石と氷の性質に従ってあらゆる生命を瞬間の器に封じていたのだ だが儂らこそ無限の器であることを肝に命じておくがいい 神々は儂らが古巣に戻ってくると同時に奴らの居るべき世界との中間で宙吊りの憂き目に遇いそれでもなおこちらへ戻ってこようと躍起になっている そして例の秘儀を執り行って貴公らを差し向けたのだ 儂らを最初の契約通りに永久に閉じ込めておこうと だが考えてもみるがいい あのまま儂らの形状が細胞によって造られていくとしたら宇宙全体がどのようになるのかを あの城の中で貴公らを抱擁し接吻の雨を降らせることになっている乙女たちはあの泉の水と同じように貴公らに永劫の美という祝福を与えるであろうが……

かすかな音もたてずに跳ね上がった橋を後にして二つの円筒形の無数の矢狭間の並んだ塔に狭まれた拱門を潜ってゆくと永劫回帰を示す宮殿が聳えその上品な装飾のある入口の奥には二つの長方形の大広間が円形の広間を狭んで続き廊下のように縦に並んでいる 様々な種族の選りすぐられた乙女たちが撓やかな肌も露わに絹の衣裳を閃かせ歓びにあふれて踊り狂っている 若者の率いる火と鏡とを材質にした四千八百八十八人の武士は剣を捨て槍を捨て鎧を解き楯や弩を放り投げ魅惑的な踊りの渦の中に呑み込まれてゆく 二つの広間に狭まれた円形の大広間の中央には黄金の美酒を湛えた大きな井戸が掘られている

(初出 詩誌『地獄第七界に君臨する大王は地上に顕現し人体宇宙の中枢に大洪水を齎すであろうか』第2号 略称フネ/昭和50年刊/発行人・紙田彰/初出では筆名を頭天山とした 1975)


(c) Akira Kamita

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